文化 郷土を知り、郷土を愛する「志木市 歴史さんぽ」-執筆・協力 志木のまち案内人の会-

■第60回 田子山富士塚シリーズ➅「浅間神社下社の御神体はナニ?」

田子山富士塚の登山道入口にある田子山富士浅間神社下社(せんげんじんじゃしもしゃ)の石の祠(ほこら)に祀(まつ)られている御神体(ごしんたい)は、引又(ひきまた)(現在の本町)で醤(しょう)油を作っていた高須庄吉(たかすしょうきち)が、夢のお告げに従ってこの場所で発見した「板碑(いたび)」です。この板碑には「瀧山千日冨士峯前途入壇阿闍梨耶承海十瀧房(たきやませんにちふじみねぜんとにゅうだんあじゃりじょうかいじゅうりゅうほう)四十五才逆修(ぎゃくしゅ)暦応(りゃくおう)三年庚辰(かのえたつ)十一月日」という文字と「光明真言(こうみょうしんごん)」が刻まれています。
富士信仰に篤(あつ)い高須庄吉は、この板碑に「冨士峯」の文字を見つけて大変感動し、ここに富士塚を築造することを決心したといわれています。
この板碑は南北朝時代のはじめである暦応3年(1340)に建てられたようで、文化11年(1814)に描(えが)かれた「引又宿絵図」(志木市指定文化財)にも「田子山塚と石碑」が描かれており、文化12年(1815)に書かれた「武蔵野話」にも詳しく記されています。また、富士講は江戸時代の後半(18世紀後半)から盛んになりましたが、この板碑は富士信仰の遺物が少ない14世紀のもののため、富士信仰研究者から大変注目されている貴重なものです。
「田子山富士塚シリーズ」として、広報しき4月号から掲載してきたように、田子山富士塚にはお宝やパワースポットがたくさんありますので、田子山富士保存会ホームページやガイドブック「田子山富士のナゾ(歴史編・お宝編・パワースポット編)」をぜひご覧ください。また、現地ではボランティアガイドの説明(無料)も行っていますので、足を運んでいただき、国指定の文化財を大いにお楽しみください。