文化 文化財を訪ねて ―見てある記―

■桶川宿を描いた浮世絵「岐阻街道桶川宿曠原之景(きそかいどうおけがわしゅくこうげんのけい)」
江戸時代、五街道の一つである中山道の6番目の宿場として整備された桶川宿は、各地に様々な文化や情報を伝える宿場町、そして農産物の集散地として発展を遂げました。「宿場」には、大名や公家、門跡(もんぜき)などが公用の旅の時に利用する「本陣」、物資の輸送を取り仕切った「問屋場(とんやば)」、一般庶民の宿泊施設である「旅籠(はたご)」などが立ち並び、旅人が大勢行き交い、賑わいを見せていました。
江戸時代後期の文化・文政期(1804-30)を中心に発展した化政文化は、江戸を中心とした新たな町人文化や地方独自の文化が活発な展開を見せた時代です。特に浮世絵に関しては、それまでの蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の時代に大きく発展を遂げた多色摺りの「錦絵(にしきえ)」にみる遊里や芝居といったジャンルから、風景画という新しいテーマに挑んだ時代でもありました。中でも、葛飾北斎(かつしかほくさい)が描いた「富嶽三十六景」や歌川広重(うたがわひろしげ)の「東海道五拾三次」などが注目を集め、江戸文化史の発展に大きな影響を与えました。
中山道を題材にした初めての浮世絵は、歌川広重と渓斎英泉(けいさいえいせん)という二人の絵師によって描かれた「木曽街道六拾九次」です。これは、歌川広重の「東海道五拾三次」と並んで、代表的な風景画の揃そろいもの物(シリーズ)として知られている作品です。この作品は、天保6年(1835)に制作・刊行が開始されたと考えられていて、令和7年(2025)は、190年の節目にあたります。
歴史民俗資料館で所蔵している資料は、「木曽街道六拾九次」の桶川宿を描いたもので、「岐阻街道桶川宿曠原之景」と題されています。当時、随一の美人画絵師と言われた渓斎英泉によって描かれました。のどかで静かな秋の昼下がりを描いた当作品は、当時の桶川の素朴な魅力を伝えてくれます。
絵には、街道沿いの農家の軒先に名産の葉煙草が陰干しされている様子と、煙管に火をつけている農夫が描かれています。また、こちらも名産として知られていた「中山道麦」を手に庭先で脱穀の作業をしている農婦と、道を尋ねる旅人の様子が描かれています。
この絵は現在歴史民俗資料館の常設展示資料として公開しています。

問合せ:文化財課
【電話】786-4009