その他 歴史散歩 第370回

春のやぶさめの謎 2
~オカイドリとブチ棒の謎~

3月第2日曜日に、出雲伊波比(いずもいわい)神社で春のやぶさめが今年も無事に行われました。秋のやぶさめと異なり、7歳未満の男の子が的に矢を一回だけ射る行事です。
前回に続き、春のやぶさめにまつわる謎について考えてみます。

オカイドリの謎
春のやぶさめでは、乗り子のうしろから「オカイドリ」と呼ばれる女性の小袖(こそで)、竹に付けられて付き従います。「オカイドリ」とは「掻取(かいどり)」のことで、現在の花嫁の打掛(うちかけ)着物と同様の着物です。地元では「オカイドリ」は幼い乗り子を背後から守る「母親」の役目をしているといわれています。古い「オカイドリ」の内側を見ると、「大正十三年二月十一日 奉納古式流鏑馬小袖」と墨書され、寄附者として旧毛呂村大字岩井の木村家の名が書かれています。なぜ木村家が小袖を奉納したのでしょうか。木村家に伝わる伝承によると、当家の出自(しゅつじ)は八王子の旗本(はたもと)で、武田氏の一派と伝わっています。江戸時代末期生まれの当主が流鏑馬にとても熱心な人だったそうで、その子が跡を継いでオカイドリを奉納したといいます。武田氏といえば流鏑馬の流派である武田流が有名です。武田氏の家臣として流鏑馬に強い思いがあったのかもしれません。屋号は「大東(おひがし)」といい、毛呂豊後守(もろぶんごのかみ)の屋敷の大手門(おおてもん)東を守っており、かつては二の馬の衣装にも木村家の家紋(かもん)が入っていたとも伝えられています。

ブチ棒の謎
毛呂山のやぶさめでは、関係者の人たちが「ブチ棒」を持って馬の後からついて歩きます。これを「軍勢(ぐんぜい)」または「茅(かや)」と呼んでいました。軍勢は騎馬した乗り子とその一行で一つの軍勢を表しているという意味としてとらえることができます。しかし、「茅」とはどのような意味なのでしょうか。一般的に茅といえばススキやチガヤなどのイネ科の植物のことをいいます。香川県に子どもの流鏑馬と茅の関係について記された江戸時代の史料があります。香川県観音寺市の琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)では、〝13歳の男児が流鏑馬などを奉納した際、村人が茅を持って神輿(みこし)に従った〟とあり、子どもの流鏑馬に茅が登場していた例がありました。流鏑馬のブチ棒を「茅」と呼ぶのは古い時代の名残(なごり)なのかもしれません。