くらし インフォメーション-お知らせ・注意喚起-(1)

■「全国地芝居サミット」を終えて
10月19日(土)、20日(日)の2日間、埼玉県小鹿野町の町役場特設会場と小鹿野文化センターで「第27回全国地芝居サミットinおがの」が開催されました。町の皆様のおかげで無事、終えたことを報告いたします。
◎花と歌舞伎と名水のまち」に2日間でのべ1,800人が駆けつけました。

全国地芝居サミットは、全国の民俗芸能団体等で構成される公益社団法人全日本郷土芸能協会と自治体の共催で毎年開催されます。地芝居の保存振興と発展を目的に各地の地芝居の伝統地が選ばれ、基調講演(今回は山本正実小鹿野町文化財専門員の「歌舞伎のまちづくり事業三〇年」)と歌舞伎等を披露しました。コロナ禍の影響もあり、愛知県豊田市以来、9年ぶりの本格開催で、当町では18年ぶりの2回目となりました。
町役場新庁舎竣工、歌舞伎保存会結成50周年、歌舞伎のまちづくり事業30年記念、そして「第52回小鹿野町歌舞伎・郷土芸能祭」も兼ねて行われました。
今回の最大の呼び物は小鹿野春祭りの華、面積を4倍に広げた屋台での日本一豪華な屋台歌舞伎。全国で秩父地方だけしか見られないものです。
開催10日前から毎日見る天気予報は19日だけが雨マーク。屋台を保存する春日町会の皆さんとギリギリまで対策を話し合い、当日までに想定してできる限りの雨対策をしての公演となりました。この勇断に感謝のひと言に尽きました。
19日午前5時。未だ真っ暗な中、町会総出で屋台の組み立てが始まり、釘を使わずすべて縄で縛る。遠くからベテランが若手に「その結び方を覚えておけ」と怒鳴る。これが伝承かと実感しました。無事、芝居が終わり、直ちに解体、土台部分のシート掛けが始まった頃、雨が降りだしました。
もう一つは「新生小鹿野こども歌舞伎」。全員が小学生で9割が今回が初舞台でした。指導者は芸歴20年を超えるこども歌舞伎卒業生の20代の小澤早也香さん、猪野木乃葉さんの2人も芝居の指導は初めての挑戦でした。稽古中は最後までどうなる事やらと思ったが舞台には神様が降りると聞きますが本当だと思えるほど上出来でした。
大人と違い子どもは実に本番に強い事を目の前で見ました。小鹿野歌舞伎保存会はベテラン組は「太十」、中堅、若手組は地元の知者、高田哲郎さんが小鹿野の伝承を素材にした新作歌舞伎「日尾嶽山誉寒梅」を熱演でした。
小鹿野中学校は授業で「歌舞伎」があり、課外でも「鹿中歌舞伎座」があります。代々演目は「五人男」を継いでいます。保存会の指導のもとで役者を始め、黒衣、化粧、三味線、太鼓、つけ打ちなどすべて生徒が取り組みました。
「奈倉女歌舞伎の会」は「浜松屋」。会の平均年齢は70歳超、女歌舞伎で定期的に公演(奉納)しているのは全国でもここだけ。
19日夜、国民宿舎両神荘での交流会は地元と四国、大阪など各地の地芝居関係者ら約200人の参加がありました。「町じゅうが役者」が誇大広告ではないと森真太郎町長らが「名士歌舞伎」を披露。自身はかつて隣りの秩父歌舞伎正和会で30年の役者歴。役者は町長、持田孝史副町長、武藤彰男教育長。髙橋耕也、髙根保生、笠原義行、髙橋謙治の町議が役者に挑んだ。保存会の堀口武治会長、柴﨑好一副会長らが指導にあたりました。
稽古は全員が集まったこともほとんどなく、保存会の代役でした。五人が台詞を決めるとおひねりが飛んだ。集まったお金は「能登半島地震」の義援金に寄付されました。
会場には町内の15軒の食堂らが自慢の郷土料理や地酒などが並びました。宿泊も町内6軒の旅館に分宿でした。公演会場には地元の商店や各団体の出店による「歌舞伎横丁」ができ、特産物や土産、名物品などが並び、好評でした。町には歌舞伎11団体、神楽5団体、獅子舞2団体、太鼓9団体、祭り音頭1団体の28団体が活動しています。今回もほんの一部の出演になりました。
「すべて地元で対応」を柱にして町民、町、歌舞伎団体、芸能団体、地元事業者等がしっかりとタッグを組み「小鹿野町を記憶と記録」に残し、又来てもらえるよう心がけました。

「全国地芝居サミットinおがの」プロデューサー、小鹿野町広報大使、全国地芝居連絡協議会議長
山口清文