文化 特集 福原有信と館山

■松岡村が育んだ美の先駆者 福原有信が残したもの
創業150年を超える世界的企業の「株式会社資生堂」の歴史は、明治5年(1872)に福原有信が創業した、日本初の洋風調剤薬局から始まります。皆さんは、この福原有信が実は館山の出身であることをご存じでしょうか。

▽生誕~現在に続く企業の創立
有信は、戦国時代に安房国を支配した里見氏の家臣の家柄と伝えられ、代々、松岡村(現館山市竜岡)の名主を務めた福原家の四男として生まれました。
成長後は江戸で医学を学び、幕府医学所に勤務します。明治維新後は海軍病院などに勤務し、薬学を専門としました。こうした経験をもとに、有信は西洋で行われていた医薬分業の実践と、薬品の品質向上を志し、資生堂創業によってその構想を実現しました。
また、帝国生命保険会社(現朝日生命)や大日本製薬会社の創立にも関わりました。

▽安房地域との交流
有信は青年時代に故郷の松岡を離れましたが、その後も安房地域と交流を重ねています。長女のとりは、明治24年(1891)に館山病院を創立した川名博夫と結婚しました。また、地元出身の実業家として、安房地域最初の銀行である安房銀行の創業にも関わりました。この他、富崎小学校への備品の寄贈や、菩提寺である遍智院(小塚大師)への幕の奉納など、有信と館山市や安房地域との交流が確認できます。
また、出身地の松岡八幡宮には、明治44年(1911)に鳥居を奉納しており、現在も建つ鳥居に有信の名が刻まれています。松岡地区では現在も、創業者の出身地という縁により、資生堂との交流を深めています。

▽そして現在
有信のひ孫にあたる福原有一氏が代表取締役を務める株式会社福原コーポレーションから、昨年9月に企業版ふるさと納税の寄附を受けました。その他にも、多くの事業にご協力をいただいています。(本紙裏表紙で紹介)
また、同社からの招待で森市長が「館山市の未来と課題」をテーマに講演を行うなど、交流を深めています。

■地元の偉人を後世に繋ぐ 福原有信を語り継ぐ会
福原有信の功績や地元との関係を残そうと、平成26年11月に「福原有信を語り継ぐ会」(会長吉田茂徳)が松岡区を中心とした地域の皆様によって設立されました。
「資生堂」創業150周年を迎えた令和4年には、『郷土の偉人 福原有信』を発行したほか、同年10月には株式会社福原コーポレーションの方々に縁の地を案内するなど、活動を続けています。

■福原有信 略年表

問合せ:博物館
【電話】23-5212