- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県多古町
- 広報紙名 : 広報たこ 令和7年9月号
◆「梅鉢紋の松平一族」
前回は十余三地区を縦断しました。そのまま昔の十余三小学区を抜けると、第二小学区の飯笹に入ります。県道79号線の西方面は来月訪れる予定とし、まずは東へ進み坂を下りましょう。
山間(やまあい)に田圃(たんぼ)が続く、いわゆる日本の原風景が左右に見えてきます。右側の集落内にあるのが、古民家一棟貸し宿「大三川邸」、左側へ細い道を登っていくと飯笹陣屋跡地があります。
陣屋という言葉は時代により意味が変わりまして、近世は城より小規模な役所を指しました。多古藩の政務を執っていたのが後に多古第一小学校となる多古陣屋、江戸時代に千葉県一の人口を誇った銚子の中心が高崎藩(群馬県)の出張所である飯沼陣屋でした。しばしば時代劇に出てくる代官所も陣屋の一種でしょう。
飯笹陣屋は、大名ではなく旗本松平家の拠点だった点で異質。旗本は将軍の旗の下(本)が語源とされ、本来なら江戸に常駐なのですが、この松平家は参勤交代をする珍しい旗本でした。多古藩の松平家とは親戚関係にあり、徳川家康の異父弟三人が松平姓を許された家系です。元の苗字を添えて久松松平と呼ばれ、家紋は水戸黄門の印籠でお馴染みの「三つ葉葵」ではなく、天神様所縁(ゆかり)の「梅鉢」だったと思われます。
飯笹の松平家は三兄弟の長子一族、嫡子は主に康の字を用いました。多古藩は上の弟一族で勝の字を用います。そして末っ子の一族は定の字を用い、大河ドラマ『べらぼう』の松平定信が該当します。彼は将軍に最も近い家から「梅鉢」の松平、家康の子孫ではない親族へ養子に出されて就任の目がなくなり、渡辺謙さん演じる田沼意次を恨んでいたわけですね。そんな観点でドラマを見るのも一興ですし、郷土史や自家の定紋を考えるきっかけにするのも有意義ではないでしょうか。