イベント みんなと結ぶ「へいわ」~港区平和都市宣言40周年~

世界各地では今もなお、戦争や武力侵攻によって、多くの人々の命が脅かされています。戦争は遠い世界のことではありません。港区平和都市宣言40周年のこの機会に、平和について改めて考えてみませんか。

●40周年記念ロゴ
令和6年度の港区平和青年団と、港区平和都市宣言40周年事業実行委員会のアイデアをまとめて制作しました。区の花であるバラを平和の象徴であるハトの羽が丸く囲うデザインとし、「40」の0にも見立てています。さまざまな品種や色が存在するバラは、人それぞれさまざまなかたちの「へいわ」を、5枚の羽根は世界五大陸を表し、丸くつなげることで世界平和への願いを込めています。

●港区平和都市宣言
区は、核兵器廃絶を訴えるとともに世界の恒久平和を願い、昭和60年8月15日に平和都市宣言を行いました。この宣言の下、区は平和に関する取り組みを行っています。

港区平和都市宣言

かけがえのない美しい地球を守り、世界の恒久平和を願う人びとの心は一つであり、いつまでも変わることはありません。
たちも真の平和を望みながら、文化や伝統を守り、生きがいに満ちたまちづくりに努めています。
このふれあいのある郷土、美しい大地をこれから生まれ育つこどもたちに伝えることは私たちの務めです。
私たちは、我が国が『非核三原則』を堅持することを求めるとともに、ここに広く核兵器の廃絶を訴え、心から平和の願いをこめて港区が平和都市であることを宣言します。

昭和60年8月15日
港区

●平和の灯
平成17年度に、港区平和都市宣言20周年の記念事業の一環として区立芝公園に設置しました。「平和の灯」に灯された「火」は、広島市の「平和の灯(ともしび)」、福岡県八女市(旧星野村)の「平和の火」、長崎市の「ナガサキ誓いの火」を合わせたものです。

●和をのぞむ~区政60周年記念碑~
太平洋戦争の末期、昭和20年5月、山の手地域に大空襲があり、赤坂・青山地域の大半が焦土と化しました。区政60周年にあたり、戦災により亡くなった人々を慰霊し平和な世界への願いをこめて北青山3-6-12先(地番)に記念碑を建立しました。毎年5月25日には、山の手空襲の犠牲者を追悼する献花が行われています。

●「港区平和青年団」「港区中学生の広島派遣」の参加者を募集しています
4月21日(月)まで、参加者を募集しています。詳しくは、港区HPをご覧ください。

■実行委員会が港区平和都市宣言40周年事業を企画します
高校生~大学院生の若者世代13人で構成される実行委員会が周年事業を企画します。周年事業実施に先立ち、周年事業のテーマを実行委員会で検討し、「みんなと結ぶ「へいわ」~港区平和都市宣言40周年~」に決定しました。多くの人が周年事業に参加し、過去を学び、今を知り、未来につなげていくことや、それぞれの人が考えるさまざまなかたちの「へいわ」をイメージしました。

■新技術を活用した取り組み
東京大学大学院渡邉英徳研究室と連携し、デジタル地図やVRを活用した平和学習の実施を企画しています。

■港区平和都市宣言40周年のロードマップ
6月 ・ふれ愛まつりだ、芝地区!での出展…内容は実行委員会で企画中
6月~8月 ・港区平和青年団の長崎派遣・港区中学生の広島派遣…中学生~高校生世代を対象事前研修および長崎・広島への派遣研修の後、活動報告を実施
7月上旬~9月下旬 ・平和展…区内5会場で戦争や平和に関するパネルや実物資料を随時展示
7月下旬 ・学生が伝える原爆の図点点平和青年団修了生が企画する展示
8月下旬 ・平和のつどい~若者が伝える平和の想いと未来~…港区平和青年団・港区中学生の広島派遣参加者による活動報告等
10月中旬 ・区民まつりでの出展…内容は実行委員会で企画中
10月~12月 ・巡回平和メッセージ展…区内5カ所の区立小学校で著名人からの平和メッセージの展示
令和8年3月下旬 ・平和のつどい~みんなと結ぶ「へいわ」~…内容は実行委員会で企画中

この他にも、実行委員会が企画した平和に関する取り組みを実施する予定です。詳細は広報みなとや港区HPでお知らせします。

■戦争・戦災体験集を制作しました
戦争の記憶を風化させることなく次の世代に語り継ぐため、「戦争・戦災体験集(第4集)」を制作しました。
学生が計11人の戦争体験者にインタビューを行い、聞き取った戦争体験の内容や、インタビューを経て学生が考えたことを主に掲載したものです。
港区平和都市宣言5周年、20周年、30周年の節目に発行されてきたもので、第1~4集は港区HPでご覧いただけます。
また、令和7年度は広報みなとで毎月、40周年事業についてのコラムを掲載します。

□戦争体験者 髙橋雅雄さん
昭和5(1930)年、白金三光町(現・白金台)生まれ。『植春』を屋号とする造園業の三代目で、1人っ子。祖父も父親も、植木職人だった。10歳のときに太平洋戦争が始まる。昭和20(1945)年3月、いわゆる東京大空襲によって自宅を失い、近くへ移り住む。勤労動員で、都内の工場で働いた。高校卒業後、千葉大学園芸学部造園学科へ進学。卒業後は、建設省の推薦もあって神奈川県庁土木部計画課へ就職、都市公園や景勝地の整備に携わる。退職後も、専門学校等で造園文化論の教鞭を執った。

今、戦争の気配が世界各地に広がっています。若い人たちにも、平和とは何かを真剣に考えてもらうことが必要だと思います。私たちの10代は戦争に翻弄される毎日でした。一人ひとりに違う体験があります。そうした話を通し、戦争は決してあってはならないと分かってもらいたいのです。私は小学生の頃に知った「克己(自分の欲望に負けないこと)」、そして県庁時代に知事から聞いた「二度とない人生だから」という2つの言葉を胸に、少しでも人のために役立つようにと生きてきました。それはやはり、戦争の悲惨さを見てきたからです。若い方々にはこれから、社会のため、人々のためになることをしていただきたい。そして自分だけでなく他者の幸せも含めた、平和で豊かな世界を作ってもらいたいです。

問い合わせ:総務課人権・男女平等参画係
【電話】3578-2014