- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都あきる野市
- 広報紙名 : 広報あきる野 2025年7月15日号
「山に眠る大正の歴史」
あきる野は多彩な地域で形成されています。どこに行っても、魅力的な自然があるとともに、元気に頑張っている方々をよく見かけます。恵みに溢れている地域だからこそだと思ったりします。
生き物を中心に話題を提供させていただくことが多いですが、今回は、市の最も魅力的な地区の一つである盆堀の話です。戸倉三山のハイキングコース巡視を終えた後、以前から気になっていた未踏査の山地を下山したときのことです。戸倉の流域は奥深く、枝尾根や沢筋に崖地が多く存在していて、危険を伴う場所が多いことや、自然保護の観点からも一般の方には道を外れて歩くのはおすすめできません。しかし、山仕事の人はこのような場所を歩くのは宿命と言っても過言ではありません。この辺りは、スギやヒノキの植林が多いですが、コナラ、ヤシャブシ、ヤマザクラなどの落葉広葉樹や、スミレの仲間も多く見られる山地として、春は特にとてもいい雰囲気の森が存在します。
そんな道のない枝尾根の下山中、見覚えのある石碑(画像)を見つけました。「大正三年、戸倉村、十三号」と書かれている四角い小型の標石です。実は、以前も戸倉の別の山で同じような標石を見たことがありますが、これまで見たものは、長い間雨などにさらされ、欠けたりなどして、文字を読むことはできませんでした。しかし、今回の標石である程度謎が解けました。100年以上も経っているものですが、見事に綺麗な状態です。
昔は、戸倉から檜原村、八王子や神奈川に通じる山道が今よりも多く存在していたため、険しい山にも関わらず、このような尾根も戸倉村(そして五日市)に繋つながる道の一つだったと思われます。そのため、このような標石が設置されたと思われますが、詳細は分かりません。大正時代は、山での人々の行き来が多かったことが想像できますし、より古い話で、武田信玄にゆかりがあるともいわれている金堀の穴[森林レンジャーがゆく(33)「暗い穴に響く謎」(市ホームページからご覧ください)]の場所なども近いため、この地域の様々な昔道に物語がありそうです。現在、この辺りの枝尾根や沢筋の多くの道はほぼ消えてしまい、昔の名残はこのような石碑程度になっていますが、静かな山に眠る「宝物」は、まだまだ存在するのでしょうか。(パブロ)