- 発行日 :
- 自治体名 : 神奈川県横浜市
- 広報紙名 : 広報よこはま 令和7年8月号
■横浜と戦争~戦後80年を迎えて~
◇横浜大空襲と米軍による接収
今から80年前の1945年5月29日、横浜の街は大きな空襲に見舞われました。
空襲は午前中に始まり、軍の施設だけでなく、住宅や商店、学校などが次々と焼かれ、公式発表によるとわずか1時間ほどの間に3,650人もの人が亡くなり、1万人以上がけがをしました。家を失った人は31万人以上にのぼるといわれています。その後、戦争が終わると、横浜の港や街の中心部は連合国軍に接収されました。
接収により、横浜の復興はすぐには進まず、人々は長い時間をかけて街を立て直していくことになりました。今の横浜に暮らす私たちは、こうした歴史を決して忘れず、平和の大切さを考えながら、これから先の横浜を作っていかなければなりません。
◇焼夷弾(しょういだん)の火の海の中を走った横浜大空襲の経験を語る
瀬谷区在住の藤原 律子(ふじはら りつこ)さん(94才)
5月29日は登校日でした。学校に着いてほどなくして空襲警報が鳴り響きました。電車が止まり、自宅に帰れなくなり、私は浅間町の叔母の家に向かいました。すぐに避難するよう促され、近くの防空壕へ飛びこみました。防空壕の扉を閉めると同時に、B-29の編隊が空を覆いつくすのが見えました。直後に飛行機の大きな爆音、焼夷弾の落ちる大雨のような音が聞こえ、しばらくして扉を開けると、あたり一面火の海でした。
猛火から逃げる最中、前を走っていた顔見知りの男の子の右足に焼夷弾が直撃し、膝から下が失われるのを目の前で目撃しました。避難することで精一杯だった私は、少年を助けることをしませんでした。その時のことが今でも強い痛みとなって心に残り、しばらくの間、戦争体験を誰にも語ることができませんでした。
しかし、戦争を知る世代も少なくなり、私の実体験を伝えることで、子どもたちが平和について考えるきっかけをつくりたいと思うようになりました。今でも世界では戦争が続いていますが、戦争によって得られるものは何もありません。
だからこそ、次の世代へ平和を受け継いでいきたいと強く願っています。
■横浜から世界へ、技術と心でつなぐ国際協力
◇水道技術を通じて世界とつながり、ともに未来をつくる
横浜市は50年以上にわたり、アジアやアフリカなどの開発途上国で、現地の技術者への研修、水道施設の運営改善など、安全な水の供給に関する技術支援を行っています。
ベトナムのフエ市では水道水が蛇口から直接飲めるようになり、アフリカのマラウイ共和国では漏水が減少するなど、生活環境の改善に貢献しています。
◇市民とともに進めるウクライナ支援
横浜市では、他都市に先駆けて、民間企業や国際協力機構(JICA)などと連携し、ロシアによる侵攻から4か月後に移動式浄水装置を緊急支援し、約10万人分の飲料水の確保に貢献しました。また、民間企業や市民の皆様の協力のもと、約2,400万円を寄付しました。
さらに、国連開発計画(UNDP)と連携し、爆撃被害を受けたオデーサ市の保育園の復旧支援も進めています。今夏には部分的に再開予定で、園庭の遊具設置などに向けたクラウドファンディングの実施も予定しています。
■世界へ届け!4万人の子どもの声
横浜市では、未来を担う子どもたちが「国際的な視野」と「平和への意識」を育めるよう、1986年から「よこはま子ども国際平和プログラム」を実施しています。
プログラムの中心となるのが「よこはま子ども国際平和スピーチコンテスト」。現在は、市内の小・中学校や特別支援学校から約4万人もの子どもたちが参加する規模となり、「国際平和のために自分にできること」をテーマに、自分の思いを言葉にして発信します。
◇2024年に参加した子どもたちの声
世界平和を実現するためには、互いの『違い』を尊重することが大切。言葉や文化、考え方が違う人々の“懸け橋”になりたい。
潮田中学校 3年(当時) 林 睿騰(りん るいてん)さん
平和は戦争が無いことだけではない。差別をなくし、全ての人が幸せに暮らせる世界をつくりたい。
市場小学校 6年(当時) 志村 優妃(しむら ゆうひ)さん
◇(イベント開催)芝生の上のブックカフェとサマーナイトシネマ
市役所アトリウムが平和を考える場所へ。
日時:8月11日(月・祝)
会場:市役所アトリウム
主催:横浜市
昼の部(14時~17時):芝生の上で親子でくつろぎながら、平和にちなんだ絵本の読み聞かせなどを行います。
夜の部(17時30分~20時30分):『シチリアを征服したクマ王国の物語』の鑑賞(上映開始19時~)などを行います。
あらすじ…クマが人間たちに立ち向かう冒険を通じて、異なる文化との共存の難しさと大切さについて伝える物語
■かつての米軍施設を市民の未来を育む拠点に
横浜市では、太平洋戦争後、旧日本軍の施設の多くが米軍に接収され、通信施設や燃料貯蔵施設、米軍関係者の住宅地などとして使用されてきました。これらの施設は、長年にわたり市街地の発展に影響を与えてきましたが、近年返還が進み、市民の新たな財産としての活用を進めています。
金沢区の小柴貯油施設は2005年に返還され、跡地を「小柴自然公園」として整備中です。市民の意見を取り入れた公園づくりを行い、2023年にはインクルーシブ遊具広場など、誰もが楽しめる空間が誕生しました。
また、2015年に返還された旧上瀬谷通信施設は、その一部が「GREEN×EXPO 2027」の開催地として、「新たなグリーン社会」のあり方を発信する場となります。その後も、豊かな自然環境や生態系を生かした公園を整備し、広域防災拠点機能や交通利便性を高め、横浜市西部の活性化を担う新たなまちづくりを進める予定です。
問合せ:国際局政策総務課
【電話】045-671-4700【FAX】045-664-7145