- 発行日 :
- 自治体名 : 神奈川県小田原市
- 広報紙名 : 広報小田原 令和7年12月号 第1280号
〔アニメーション映画監督 富野 由悠季さん × 小田原市長 加藤 憲一〕
小田原市長 加藤 憲一「地域でいのちを支えていくために。」
アニメーション映画監督 富野 由悠季さん「考える力が、未来を拓く」
◆戦争とは…
─市長
戦後80年という節目の年に、戦中、戦後を生きてこられた富野監督とお話しする機会を頂き、たくさんお聞きしたいことがあります。
まずは、これまで過去から未来への時間軸、地球を含めた全宇宙という空間軸を縦横に行き交い、未来のテクノロジーから身近な家族愛までを視野に、さまざまな作品を組み立てられてきた監督からすると、太平洋戦争の悲劇、そして、その反省を込めたこの80年をどう見ていますか。
─監督
僕は零(ゼロ)戦や航空機に興味を持っていて、高校時代までミリタリーをかなり高く評価していました。戦記物を読むことが多かったんですが、高校2、3年生くらいの時に「この後、玉砕する…」とか「沈んでいく艦」みたいな表現が多くて、読む気がなくなったんです。
社会に出てアニメの仕事を始めて、ガンダムの企画が来た時「敵を人間にする」と決めました。そうした時に「どうしたら戦争が起こるのか」、つまり「戦争の原因」というものを作らなければいけなかったんです。「宇宙人が地球に攻めてくる」とすれば、宇宙人は地球が欲しいがために地球を攻めるという必然があるのですが、人間同士が地球に住んでいるときに「戦争を起こすということはどういうことなんだろうか」と。すると必ず「戦争を起こす人がいる。戦争の原因は、やっぱり人間が作るんだ」ということに気が付いたんです。
また、太平洋戦争を境に戦争の原因が変わりました。それまで土地の奪い合い、陣地論でしたが、現代ではレアメタルを獲得するという資源論になり、それは今もなお続いていますね。それと、戦争の原因はもう一つあります。それが宗教戦争です。数千年の宗教戦争がいまだに続いています。これを解消できるようなものの考え方をわれわれが持たない限り、地球上は安泰ではないと言わざるを得ないです。
◆中学生の体験
─市長
先日、監督が新聞のインタビューで「戦争は、ゲームではない」と語られていましたが、まさに最近の若い世代は、ゲームなどで戦争に触れている人も多いです。
ゲームではなく本当の意味での戦い、人が殺し合う現場の悲惨さというものの一端を、時空を超えて若い人たちに感じてもらいたいということもあり、今年、市内在住の中学生24人を沖縄県に派遣しました。
派遣後、生徒たちに話を聞くと、中でも衝撃を受けたのが、南城市にありますアブチラガマ(負傷兵や住民が避難した自然洞窟)での体験だったようです。戦時中、住民が逃げ込み、真っ暗な中で亡くなった人もいます。「実際にその空間に入った時、戦争の生々しさを肌で感じた」と話してくれました。
─監督
僕も「ガマ」は知っています。多古にあった防空壕の比ではない。自然の洞窟で半分くらい海水が入ってくるようなところです。それでも、そこにいれば間違いなく艦砲射撃からは逃げることができたんだけど、出ることもできなかった。
沖縄戦で考えないといけない一番大事なことは、軍が進出した「最後の防衛戦」にして、住民までも巻き込んだこと。軍は、元々国民を守る組織です。それが沖縄戦では明らかに民間人を盾にして、軍人たちはその後ろから銃を構えている。あえて言いますが、これは「狂気の沙汰」である、そう思ってしまいます。
◆インフラの重要性
─市長
この80年、人類は長い時間を経て蓄えられた地球上の資源を、極めて短い時間の中で費消しつつあります。そして同時に、地球環境の悪化を自ら招いて、生存の持続可能性を損ね、それがまた国家間の争いの原因にもなっています。人口は今なお増え続け、食料もエネルギーも、このままでは人類を賄えなくなる可能性が高い。それでも、この平和の中で「戦争を起こさないために」これから先、どうしていくのか考えないといけない。共に課題を乗り越えたり、より寛容になって受け止めたり。そういう「進化」をしていかないと、多分乗り越えていけないんじゃないかと思っています。
─監督
この十数年、我々が暮らしている社会インフラについて考えるようになりました。電気、ガス、水道、道路、そして新幹線などの鉄道交通網といったインフラは、利用者がいつでも使えるように、毎日毎日メンテナンスしている技術者がいます。戦後、こうしたインフラ基盤の整備が進み、21世紀になったら、科学技術で何でも突破できると思い込んで大量消費してきた。それが、地球のキャパシティーを超え始めているということに気が付いているはずなのですが、われわれはどうも夢を追い過ぎていると思うんですよ。
《80年を振り返って》
─市長
今の大量消費と、情報技術への依存を深めている状況は、先ほどの太平洋戦争をやろうとしていた時の、日本軍の状況認識とよく似てるなと思うんです。「何とかなるだろう」と突っ走っているような。でも、その先に何が待っているのかということを、冷静に見極めないといけないと思うんですよね。
私は「地域自給圏」と言っていますが、私たちの「いのち」を支えるために必要なものを、その地域でできるだけ整えることが必要だと思っています。この先の未来、人類は現状を反省し、進化していくことができるのでしょうか。
─監督
「今の人類にはできません」と言うしかありません。そして、歴史の中から学べるかというと、そうでもない。歴史は繰り返しでしかないからね。だから新しい方法とか、ものの考え方を見つける必要があるのです。例えば、宗教が人を救済できるのか、また、科学技術はこの先進歩すればするほど、人類の首を絞めることにならないか。だからこそ、新しい技術の使い方、組み立て、システムというのも、新たに考え直さなくちゃいけない時代に突入しているんです。そう考えた時に、人類の進化の可能性を見つけられるのが、インフラを整備している、体験的に知っている「技術者」なのかもしれないと思っています。少なくとも、哲学者とか、科学者、研究者ではない気がします。
小田原の偉人である二宮尊徳は、いわば土着的な行動力で日本の田畑を改革しました。ただ、日本中を改革できたわけではありません。つまり、人間一人ができることはその程度のことなんだということです。
これからの若い人たちには、実直にものを考える、勉強して努力して、自分が面倒を見ることができる範囲のこと、足元のことをしっかりやっていく、土着的な職に就いて頑張ってもらいたいと願います。それと、先達として「本当に君たちに迷惑をかけるようなシステムを作ってしまってごめんね」と謝る必要もあると思っています。
◆この先の未来へメッセージ
─市長
これまで、戦争の愚かしさや悲惨さを知りつつも、ほとんど反省されておらず、今もずっと続いていて、そして、これは多分止まらないんではないかというお話でした。ですがその中でも、今回まさに沖縄に行ってくれた中学生たちも含めて「やっぱり戦争のない社会をつくっていきたい」「そこに向けて、もっと勉強していきたい」と思っている人たちももちろんいます。そうした若い人たちに、監督からのメッセージを頂けますでしょうか。
─監督
小田原は温暖な気候で、自然も豊か、一通りのことがそろう土地です。だからこそ、昔は「こんな穏やかな土地からは偉人なんて出ない、せいぜい二宮尊徳くらいだろう」と思っていました。ただ、戦争の歴史、平和な未来を考えれば、こうした土地だからこそ考えられる、ものの考え方があるのではないかと思っています。もっと穏やかで、情緒的なものの考え方が。
小田原に生まれたからこその実行力とか言動とか、そうした「金次郎精神」のようなものを持って、それを世界に広めていってもらいたいですね。
