- 発行日 :
- 自治体名 : 新潟県関川村
- 広報紙名 : 広報せきかわ (2025年4月号)
■「江戸時代わが村の暮らし」(47)
鮭川漁の九漁場を現在の地図に
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)
滝原から大島の間を九つに区切った鮭漁の漁場の記録があります。正徳四(一七一四)年のものです。難解な文章ですが、推測も交えて何とか読み解いてみました。
各漁場の境は、川上・川下とも、北〜南の見通し線で区切っていました。
(1)狐堀川漁場
川上は福瀬川との境、川下は、南が貝附村分木落平の上のカニ沢と下のカニ沢の中間(A)、北は高田村分不動沢の八間下のばん岩(B)、見通し線は南に下がる
(2)福瀬川漁場
川上は木戸川との境、川下は、北が宮前村分の伊勢松(C)、南は南南西方向(D)、見通し線は南に下がる
(3)木戸川漁場
川上は雑貝川との境、川下は、北が高田村鍛冶屋敷の杉の木(E)、南は土沢村と大島村の境の曲り松(F)、見通し線は南に下がる
(4)雑貝川漁場
川上は巻目川との境、川下は、北が平内新村堤沢出口の先端(G)、南は土沢道の北の境塚から少し西(H)、見通し線は真南
(5)巻目川漁場
川上は荒山川との境、川下は、北が平内新村上鉈打沢の出口の下の境塚(I)、南は赤谷村橋の上の岩清水(J)、見通し線は真南
(6)荒山川漁場
川上は舟付川との境、川下は、北が高田村分鉈打沢の東の先端(K)、南は赤谷村牛頭天王の松(L)、見通し線は南に上がる
(7)舟付川漁場
川上は滝下川との境、川下は、北が小見村さいかい木(M)、南は赤谷村上内須川出口石仏大松(N)、見通し線は南に上がる
(8)杉木又川漁場
ここは南片川川上は、下関村分やなせ川との境(O)、川下は、北が上野山村分引の沢の上の段の東の先端の境塚(P)、南は内須川の出口の大松(Q)((N)と同じ)、舟付川との境は小見村分川前小くぼみ東の栗の木(R)、川上の見通し線は南に上がる
(9)滝下川漁場
川上の北は滝原村道下の二本松(S)、南は下関村分の清水尻(T)、見通し線は南に下がる
さて、これを現在の地図上に表そうとすると、なかなか困難です。なんとか当て推量も加えて、線を引いたのが右の地図です。
(T)の位置は、下関地籍の中島があったのではとの推測です。(R)は荒川左岸に小見の地籍があります。(C)は朴坂の北側の山が宮前地籍です。(2)には、女川の漁業権も含まれているのかもしれません。
村から離れた所の村地籍を「〜村分」と言っているようです。国土地理院のWEB地図で地籍を見ることができます。詳しい説明は、左のQRコード(本紙参照)で見てください。
現地の地名を知っている方なら、別な線を引くかもしれません。興味のある方は、引いてみてください。
ともあれ、こんなふうに当て推量を楽しむのも古文書の楽しみ方の一つです。
※原文と解説は歴史館に展示、又は、下のQR(本紙参照)から
※詳しくは、本紙またはPDF版を参照してください。