くらし 西山動物園 開園40周年特集(1)
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- 発行日 :
- 自治体名 : 福井県鯖江市
- 広報紙名 : 広報さばえ 令和7年4月号 通常版
イッツ、パンダフル!~これからも、西山動物園~
パンダでいっぱい+ワンダフル=パンダフル
所在地:桜町3丁目8-9
開園時間:9:00~16:30
入園料:無料
休園日:毎週月曜(月曜が祝日の場合は翌日)
■おもなできごと
■小さな奇跡、40年
日本一小さな動物園――。そんな愛称を持つ西山動物園は、今年4月で開園から40年の節目を迎えます。
地方にあるこぢんまりした動物園がどうしてここまで親しまれる施設になったのか。その背景にはさまざまな奇跡がありました。
1972年の日中国交正常化を背景に中国側との交流が生まれたこと、飼育技術の指南に他園が協力してくれたこと、豊かな自然に囲まれた過ごしやすい環境であること。
西山動物園をとりまく大小の巡り合わせはこれだけにとどまりません。とりわけ大きいのは、動物園を身近に感じ、園を支えきた市民の皆さんの存在ではないでしょうか。
西山動物園の歴史は動物たちが作ってきたものであると同時に、私たちが織りなす多くのヒューマンドラマにも彩られています。
動物たちと人とがつくりあげてきたワンダフルな西山動物園。その歩みをたどりながら、未来を見つめます。
■ここがパンダフル!(1)歴史 YOUはどこからさばえへ?
日中国交正常化から7年後の1979年。繊維技術を学ぶ中国からの視察団が鯖江市にやってきました。
以降、鯖江市と中国は産業や文化、スポーツなどを通じた交流を深めていきます。
1982年には鯖江の訪中団長を務めた当時の市長が北京市側にレッサーパンダを贈ってほしいと打診。それまでの交流の積み重ねもあり、1984年の寄贈につながりました。
◇レッサーパンダは日中友好の証
鯖江市日中友好協会 会長 田中敏幸さん(72)
鯖江市日中友好協会は、孫平化(スンピンフア)・中日友好協会会長(当時)の訪鯖を受けて、1980年に発足しました。私が会長になったのはもっと後になってからですが、レッサーパンダがやってきた時のワクワク感は今も忘れません。
レッサーパンダは鯖江市の日中友好のシンボルだと思います。このような友好関係の下、訪中を重ね、今年1月には春節の集いを開催するなど地道な日中友好交流を続けています。
◇市民の生活の中にある動物園
保育園時代に開園セレモニーに参加 北幸恵(さちえ)さん(46)
除幕式当日はドキドキしていたことくらいしか記憶にないですが、「園庭のように走り回っていた西山公園に動物園ができる」「しかも、レッサーパンダがやってくる(当時はかなり珍しかった!)」ということで、早稲田保育園のみんなが大興奮していたのを覚えています。大人になった今でもふらっと遊びに行きますが、これほど気軽に立ち寄れる動物園は貴重なので、これからも親しみやすい場所であり続けてほしいです。
■News 語りつがれる3大事件簿
1986年、レッサーパンダの2世が4匹も誕生したことは明るいニュースでした。
「無名に近い地方の都市にレッサーパンダが贈られるなどありえない」。
開園前、県外の動物園関係者からそんな冷ややかな声も聞かれた西山動物園ですが、4匹誕生により知名度はアップしました。
園ではこのほか、世間をにぎわす珍事件も起きています。
◇その1 1986年 レッサーパンダ2世、4匹誕生
当時の飼育係長 伊部孝幸(たかゆき)さん(74)
飼育していた雄1匹、雌2匹で雌2匹がそれぞれ双子を産んだことは、国内の動物園関係者には驚きとなりました。類のない出来事により西山動物園、そして鯖江の認知度が一躍アップしました。
◇その2 2005年 レッサーパンダが立った?!
千葉市動物園の「風太」が後ろ足で立つ姿が一躍有名に。その影響を受けて、西山動物園の「タカシ」が立つ姿も注目されました。
レッサーパンダはかかとで踏みしめる力があり、太くて長いしっぽも使って立てるのです。
◇その3 2008年 レッサーパンダ、脱走
「ミンファ」が園外へ脱走。市職員ら計150人が捜索し翌日、約1キロ離れた道路の側溝で見つかりました。
メディアでは、「脱走の女王」の異名までついたミンファでした。
〔第1発見者として市長感謝状が贈られた毎日新聞福井支局記者 松井聡(そう)さん(現・ワシントン支局)〕
脱走の知らせを聞き、現場周辺で聞き込みを重ねていたところ偶然見つけました。「記事は足で稼げ」とよく言われますが、まさか第1発見者になるとは。激動の米国政治取材でも「足で稼ぐ」を実践中です。