- 発行日 :
- 自治体名 : 福井県美浜町
- 広報紙名 : 広報みはま 令和7年7月号 No.654
■子孫が語った国吉城主粟屋氏~第1回国吉城歴史講座より~
若狭国吉城歴史資料館では、毎年全6回の国吉城歴史講座を開催しています。第1回は5月6日に開催された「国吉城まつり」のプログラムの一つである「歴史小噺」を兼ねて、国吉城主粟屋越中守勝久の子孫に当たる籔井有希(あき)さんと資料館館長によるトークセッションを開催しました。
粟屋氏は、若狭武田氏の古くからの重臣であり、「武田四老」に数えられる名門です。「難攻不落」の国吉城を築いた勝久の生没年は未詳ですが、佐柿を去った後は羽柴(豊臣)秀吉の家臣となり、天正13年(1585)に没したと伝わります。その子孫は、伊勢国津(三重県津市)の領主、藤堂家に仕えた助太夫の系統(伊勢粟屋氏)と、豊後国臼杵(大分県臼杵市)の領主、稲葉氏に仕えた五右衛門勝長の系統(臼杵粟屋氏)が知られています。
籔井さんは臼杵粟屋氏の末裔に当たり、書家として活動されています。御祖母から達筆を褒められた際「先祖がお城(臼杵城)に上がって殿様に字を教えていた」という逸話を聞いたそうです。この逸話が強く印象に残り、自身が書道を志したことも先祖の遺伝によるものではないかと捉え、ご先祖調べを始めるようになりました。
戸籍をたどると、江戸時代の「粟屋浪江」という人物まで遡り、さらに深掘りするため、臼杵市教育委員会や臼杵市歴史資料館を訪ねました。同資料館によると、石高や御祖母から伝わる逸話等を踏まえても辻褄が合うという話も聞き、先祖が臼杵藩主稲葉氏の家老粟屋氏であると突き止めることができました。幼少の頃、臼杵城跡を遊び場としていたそうで、不思議なご縁を感じたと語っていました。さらに、資料館のSNSを通じて、国吉城と臼杵城のつながりを知り、昨年初めて美浜町にお越しになりました。
また、御本人は書に加え、絵を描くこと(模写)も得意であり、手先が器用であるといいます。これも先祖の遺伝ではないかと思いを深めて、先祖に感謝と誇りの念を持ちながら日々を送りたいと語っていました。
自分のルーツを知ることは、未来の自分を考えるきっかけになる可能性があります。籔井さんのように、皆さんもご先祖を辿られてはいかがでしょうか?有名な人物にたどり着くという例は稀有ですが、それ以上に得難い発見があるかもしれません。
(若狭国吉城歴史資料館)