文化 ふるさとの誇り212 ○(まる)博レポート

■昭和の南アルプス市
今年、令和七年(二〇二五)は「昭和」で換算するとちょうど一〇〇年という節目の年にあたります。昭和というと戦争や高度経済成長、バブル経済等の象徴する言葉が浮かびますが、南アルプス市の昭和時代はどんな様子だったのでしょう?
大正から昭和にかけて釡無川に念願のコンクリート製の橋がかかり始めます。さらに、昭和五年には、通称「ボロ電」として親しまれた電車が南アルプス市域に開通し、昭和三七年まで住民の通勤・通学の足として、また流通の要として活躍しました。明治、大正までは煙草や木綿だった畑は養蚕用の桑畑へと一気に変わっていきましたが、その一方で果樹栽培ではモモやスモモのほかにメロン等の温室栽培が広まった頃でもあります。
その後戦争や伊勢湾台風などの被害もありましたが、産業面ではスプリンクラーなどの灌漑(かんがい)施設の整備による果樹産業の発展など、私達の暮らしも大きく変化していきました。
身近のところとしては、地名の変化も挙げられます。本紙14ページの地図には昭和元年当時の地名等とその後の変遷を示してみました。現在の住所地を示す「区」名の多くはかつて「大字」と呼ばれ、江戸時代にはそれぞれが村でした。その後、明治八年あるいは二二年に合併し昭和三〇年頃まで続く新たな村が誕生しています。ちょうど右の地図に示したのがこの時の村名になります。昭和三〇年前後に再び合併が進み、南アルプス市となるまで存続した六町村が誕生します。
明治から昭和にかけて存在した村の名前は地名としては消えてしまいましたが、農協の支所名であったり、小学校名などとして今もその名残を知ることができます。
写真・文 文化財課
詳細は本紙をご覧ください。

■ふるさと文化伝承館 テーマ展
昭和の子ども達の思い出がたくさん詰まった展示です
にしごおりのぼこんとう 西郡の子どもたち
前期 開催中!5月14日(水)まで

■石積出し三番堤 発掘調査 現地説明会
R7 3/20(木・祝)
第1回 9:20~
第2回 10:20~
申し込み不要