- 発行日 :
- 自治体名 : 山梨県南アルプス市
- 広報紙名 : 広報南アルプス 令和7年8月号 No.269
■弥生時代の水田風景と米食の技術
南アルプス市における稲作の本格化は今から約二千年前、弥生時代中期と考えられており、市之瀬台地上や滝沢川扇状地を中心に稲作に関わる痕跡が発見されています。今回は田方(たかた)における弥生時代の水田風景と米食について見ていきます。
田方とは御勅使川扇状地の地下を流れる水が湧き出す扇端部から下流の地域です(図1)。そのような地形を活かして早くも弥生時代から稲作が行われ、向河原遺跡では弥生時代中期の水田跡が見つかっています(図2)。写真を見ると、その水田はまさに漢字の「田」の字のように畦で区画されていることが分かります。地形を大きく改変できなかったため、一枚の広さは最大でも一辺約五メートルと現代よりも小さく、小区画水田と呼ばれています。自然地形のわずかな勾配を利用して、北西から南東方向に水を供給していたと考えられており、当時の人々の工夫の跡がうかがえます。
油田遺跡からは、向河原遺跡と同じ時代の土器とともに木製の竪杵(たてきぬ)が発見されています(図3)。竪杵とは穀物を搗(つ)いて脱穀するための道具で、農具としては山梨県内最古のものです。また発見された土器の表面には、土器製作の際に付着した種子の痕跡(圧痕)があり、これらはレプリカ法(※1)によって分析され、籾や玄米の圧痕であることが分かりました。またその籾や玄米が人為的に脱穀された可能性が高いことが分かりました。これらの発見から当時の人々が竪杵などを用いて籾を脱穀し、玄米にしていたことが考えられています。
弥生時代の人々は米などを壺(つぼ)に貯蔵し、甕(かめ)を使って煮炊きしていました。こうした土器はフモット(コストコ)の開発に伴う寺部村附第10遺跡他4遺跡の発掘調査で発見されています(図4)。出土した弥生時代後期の土器には長野方面の影響を受けた信州系の土器や静岡方面の影響を受けた東海系の土器などが見つかっています。これらの土器からこの地が他地域との交流が盛んであったことも明らかになってきています。
現在、水田が広がる田方の風景の下には、弥生時代の人々が水田をつくり、道具を使って脱穀し、米を調理していた痕跡が残されていました。私たちが見ているこの風景は、約二千年の時を超え、弥生時代の人々が見ていた景色とつながっているのです。
※1.土器の圧痕部分にシリコン樹脂を流し込んでレプリカを作成し、走査型電子顕微鏡(SEM)を用いて観察する手法。
文:文化財課
写真:個人・山梨県・文化財課
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