くらし 伊那市長のたき火通信

■復活した西天竜(にしてんりゅう)発電所
伊那市小沢にある「西天竜発電所」は、田中元知事時代の「脱(だつ)ダム宣言」の後、長野県企業局事業の民営化計画を経て、中部電力への一括譲渡(いっかつじょうと)の話が進み、2010年には施設の廃止決定がされた発電所です。
私が市役所に来たのが平成16年(2004年)でしたから、脱ダム宣言の大嵐が吹き荒れていた頃でした。そんなさなか、クリーンな小水力発電を止めないでほしいと、当時の西天竜土地改良区の理事長や地元区長の皆さんと、長野県企業局へ西天竜発電所の継続要望に何度か足を運びました。
西天竜発電所は、昭和14年に完成した「西天竜幹線水路(にしてんりゅうかんせんすいろ)」、通称「西天(にしてん)」と呼ばれている灌漑(かんがい)施設の水を利用した発電所で、昭和36年に建設されました。「西天」は岡谷市川岸の頭首工(とうしゅこう)で天竜川から取水し、辰野町・箕輪町・南箕輪村・伊那市を流れ、小沢地籍で小沢川に落水しています。
「西天」は、深沢川(ふかさわが)・帯無川(わおびなしがわ)・大泉川(おいずみがわ)・大清水川(おおしみずがわ)などによってつくられた広大な扇状地を横断して流れています。この一帯は砂礫層(されきそう)のため、雨はそのまま地下に浸透してしまい、農作物は育ちにくく、せいぜい桑園か松林か雑草の茂る荒れ地でした。延長25kmの「西天」が完成したおかげで、不毛の大地は水田や畑として開墾され、県下でも有数の穀倉地帯となりました。
一度廃止の決まった西天竜発電所を復活させることはなかなかハードルが高く難しいものでした。ところが2011年に発生した「東日本大震災」とこれに絡む「東京電力福島第一原子力発電所事故」が流れを一変させました。当時、阿部知事は、クリーンエネルギーの小水力発電は長野県にとって必要なものであると、発電事業を継続する決断をしたのです。
市内の西天竜発電所、春近(はるちか)発電所、美和(みわ)発電所などは生き残り、なかでも西天竜発電所は、それまでの大型発電機1台の稼働から、少ない水でも発電可能な小型発電機2台に変えて、3,200kWの発電ができるようになりました。これは一般家庭電力の4,450世帯分といわれる能力です。災害時には避難所となり、充電装置も備えた「西天でんでん広場」として憩いの公園にもなっています。

伊那市長 白鳥考