- 発行日 :
- 自治体名 : 長野県伊那市
- 広報紙名 : 市報いな 令和7年4月号
■渡場(どば)区にある岐神(ふなどのかみ)の碑
東春近と西春近を結ぶ殿島(とのじま)橋の東際に岐神の碑があります。江戸時代に交通の平安を祈って建てられたものです。
殿島橋は天正3(1575)年、武田勝頼(たけだかつより)が長篠の戦(たたかい)に行くために架(か)けたといわれています。東春近の人々は、昔から殿島橋をわたって西春近にある山に行き、建築材、薪炭、緑肥、飼料などを得てきました。車馬の往来はもとより、生活のために大変重要な橋だったのです。
しかし、かつては天竜川の氾濫により何度となく流失を繰り返していました。天保6(1835)年、高遠藩の補助を得て大がかりな架橋が行われ、手すりのあるしっかりとした橋になりました。その時、橋の東端にこの岐神を、西端には大巳貴命を祀って交通の安全を祈ったのです。
橋は、昭和11年にモダンな鉄筋コンクリートの永久橋となり、平成3年には上流にできた春近大橋に自動車交通を譲り、自転車歩行者専用となりました。平成18年の豪雨災害で落橋してしまいましたが、平成21年に位置を少し変えて新しい橋が完成、春富中学校の生徒が通学に利用する姿などが見られます。
右中沢道、左高遠道と刻まれた岐神は今、殿島橋東際のポケットパーク内にあり、交通の平安を見守っています。
なお、西春近側にあった大巳貴命の石碑は、道路拡幅に伴い今は春近神社境内に移されています。
(参考:東春近村誌)