- 発行日 :
- 自治体名 : 長野県伊那市
- 広報紙名 : 市報いな 令和7年10月号
■森といきる 伊那市
私の小さな頃は、人と森や山との関りは濃密なものがありました。子どもにとっては、春の山菜取り、サワガニやカジカ取り。お盆の頃になると近所の子どもたちと連れ立って盆花を取りに行き、秋にはキノコやクリやアケビを採る楽しみがありました。
大人には生活の場としての森と山の存在がありました。カラマツやヒノキの植樹と下草刈りや枝打ちをし、後世のために森を育てる。ガスや電気製品のない時代には、煮炊きや囲炉裏の薪の準備や、冬にはバラ炭を作りに山に入り、また集落の飲料水を賄う「水道」の維持管理など、四季を通じて山に入っていました。私の小さな頃の記憶は、たった50年~60年ほど前のことですが、人類にとっては、木の実を採り動物を狩っていた縄文・弥生の昔から今の時代まで、連綿と森とは繋がりがあり、何千年も森とともに生きてきた歴史があります。
森林の持つ機能は、二酸化炭素の吸収と酸素の供給(光合成)、飲料水・農業用水などの涵養(かんよう)、土砂災害の防止、建築用材の供給、木質バイオマスの原料供給、動物・植物・昆虫・鳥などの臥(ふ)しどころなどと多様です。ミネラルの恵みも欠かせません。森がなければ農業はできません。森がなければ薪炭も水も得られませんでした。
また森や山は畏敬(いけい)の場であり、神の依代(よりしろ)として信仰の対象でもありました。人々と繋がる癒(いや)しの森であり、思索の森であり、精神の交感する多様な森がありました。
18世紀から19世紀にかけて生きたフランスの政治家であり思想家の、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンは、「文明の前に森林があり、文明の後に砂漠が残る」と言っています。これは森との繋がりは形而上の祈りとともに、すべての事象は森とともにあると理解できます。平易に言えば古来より森との繋がりは生活の端々(はしばし)にあり、このことを忘れた民族は、砂漠と言う不毛を生み出すことに繋がるのだと理解するのです。
新緑の頃、森で始まる躍動と生命の息吹を感じさせる瑞々しい緑。漆黒の森にいるときの静謐(せいひつ)さと畏敬、艶(あで)やかな紅葉の後の落葉。雪に眠る森の佇まい。
森羅万象(しんらばんしょう)、すべてが森に繋がっているように「森といきる 伊那市」でありたいと願います。
伊那市長 白鳥孝
