- 発行日 :
- 自治体名 : 長野県小海町
- 広報紙名 : 小海町公民館報 第558号
南佐久南部の中心地である西馬流に、かつて野菜を中心とした青空市場が開設されていた。小海町域では、かなり前から販売用野菜は作られていた。大正中頃から貯蔵用野菜が栽培され販売されていた。大正十四年前後、今まで個々バラバラに売られていた、いわゆる「青空市場」を統一しようという動きが出てきた。
大正十四年、有志十人によって「馬流公設市場」が開設された。この統一公設市場は、北牧村・小海村両農会、南佐久農林学校が中心となって規則が定められた。
馬流公設市場規則の概要は次のとおり
一 場所 馬流橋西側
一 開始時間 午後七時から十時まで
一 取扱品目 蔬菜青果物一式 果物類一式 鶏及び鶏卵
一 開設日 毎年初開設日七月二十五日 北牧地区―三・九・十五・二十一・二十七日 小海地区―六・十二・十八・二十四日
一 価格 公定価格であること
一 積立 販売した金額に対して、希望がある人は積み立てをなすこと
一 規則の遵守 この規則を正確に守ること
大正十四年最初の市場は八月五日に開かれた。
この時の価格は 赤シソ十本束十銭・大阪モモ一升十銭・ウメ一升八九銭
大正十五年からは、
一 市場名 連合市場とする。
一 開店は鉄砲をもって合図し自由に開店しないこと
一 開店するときは番号札を持って販売すること
等が規則に追加された。昭和六年には、小海線工事をあてこんで八那池でも七月十五日に市場を開いた。
この公設連合市場は戦時統制の強まった昭和十六年まで続けられた。この間、公設連合青果は参加人員も増加し、年間の売上高も大きく伸びた。品目の中で甘らん(キャベツ)は当初から売られていたが、白菜は昭和十六年以前には販売された形跡は見られない。なお戦時中は大根の出荷が割り当てられていた。
町志中世編纂委員
成澤良夫
■お詫びと訂正
公民館報令和7年2月号(第557号)に掲載しました次の記事におきまして、誤りがありました。お詫びするとともに、ここに訂正させていただきます。
5ページ「地域の歴史(31)」掲載文中のご氏名
(正)井出大四男氏
(誤)井出太四男氏