- 発行日 :
- 自治体名 : 岐阜県恵那市
- 広報紙名 : 広報えな 2025年2月号 No.391
■恵那にあった民有鉄道
その三 北恵那鉄道大井線
西部良治(りょうじ)さん
明治39年に開業し、恵南地域の発展に大いに貢献した岩村電車ですが昭和8年の鉄道省明知線の開業や、昭和恐慌、矢作川水系の電源開発の終了の影響で、乗客と輸送量が減少したため、昭和9年4月に営業を休止し、昭和10年1月に全線が廃止されました。
そんな岩村電車が廃止される7年前(昭和3年)に北恵那鉄道大井線が開業しました。この鉄道は、大井ダム建設時に設置された貨物専用鉄道が、ダム完成後に北恵那鉄道に譲渡されたものです。大井線は、恵那峡観光のため、ガソリンカー(単端気動(たんたんきどう)車)という車両を運行。阿木川の東岸に新大井駅を設け、そこから野畑や横平(大井町)を通り、恵那峡入口の奉行橋近くで濁川を渡って大井ダムに到~地産地消~地域で採れる農産物を食べることは、新鮮でおいしく、農地を守ることにもつながります。車などで運搬する距離も短くなるため、二酸化炭素の発生も少なくなり、良いことがたくさんあります。地産地消でSDGsに取り組みましょう。着するという路線でした。全長は4・3キロで、停車駅は新大井駅、金龍(きんりゅう)温泉駅、大井ダム駅の3駅でした。
大井線の沿線には民家が少なく、開業当初から乗客数には不安があったようですが、昭和恐慌による経済不況も加わって乗客数が増えず、開業から4年後の昭和7年には営業を休止し、昭和9年に全線が廃止されました。
大井線の開業から4年間ほどは、中央線大井駅(現在の恵那駅)には、中央線の列車や、岩村電車の他、大井線のガソリンカーの姿があり、それぞれの列車に乗る人たちでにぎわっていたことでしょう。
現在は、奉行橋の近くに、貨物列車が濁川の鉄橋を渡る写真が載った大井線の看板があります。