文化 物知り先生のふるさと情報

■恵那の街道 その一
下街道~名古屋に向かう道~
西部良治(りょうじ)さん

中山道大井宿から西に5キロほど行くと槇ケ根追分(おいわけ)に到着します。追分とは道が分かれるところをいい、この追分では京都へ向かう上街道(中山道)と、名古屋に向かう下街道に分かれます。
上街道は大井宿から御嵩宿までの間、険しい山道で十三峠などの峠や坂道の多い難所でした。一方、下街道は平坦で、通行しやすい道でしたが、主要街道ではないため、公的な宿場や一里塚は整備されておらず通行料などもありませんでした。
下街道は、現在の国道19号にほぼ沿って、釜戸、土岐、高山、池田、内津、坂下、勝川、大曾根を通ります。そして、槇ケ根追分から約15里(60キロ)離れたところにある、名古屋の「伝馬(てんま)会所札の辻(下街道の起点)」(※1)に至ります。
江戸時代、大井から名古屋へ行く正式ルートは上街道を伏見宿(※2)まで行き、そこから土田、善師野(ぜんじの)、楽田(がくでん)、小牧を通るルートでした。ですが、このルートは19里半(約78キロ)あり、下街道の方が約18キロも短かったのです。
そのため牛や馬に乗って信州から荷物を運ぶ運送業者「中馬(ちゅうま)」や旅人は、下街道を盛んに利用しました。正式ルートを通る中馬から通行料や手数料を取っていた大井以西の宿場や小牧宿などは、中馬が下街道を通ることを禁止しようと何度も訴訟を行いました。
その結果、通行は禁止されましたが、下街道の通行禁止を徹底することはできませんでした。

※1現在の中区錦2丁目
※2現在の御嵩町