- 発行日 :
- 自治体名 : 岐阜県恵那市
- 広報紙名 : 広報えな 2025年9月号 No.398
■恵那の街道 その二
中馬街道~荷を運ぶ馬の道~
西部良治(りょうじ)さん
中馬(ちゅうま)とは、牛や馬を使って荷物を運ぶ輸送方法のことです。江戸時代の信濃国(しなののくに)(※1)や甲斐国(かいのくに)で発達し、現代でいう宅配トラックのような存在として当時の物流を支えました。江戸時代初期、街道沿いの農民が、自家生産物を城下町などに運ぶことを手馬(てうま)と呼んでおり、この手馬がなまって中馬と呼ばれるようになりました。
1頭の馬の背に載せられる荷物は36貫(135キログラム)までと決められており、これを1駄(だ)と呼びました。馬を扱う人は馬士(ばし)と呼ばれ、一人で3から4頭の馬を連れていました。
宝暦13年(1763年)、飯田の商人が1年間で中馬を使って各地に送った荷物の記録が残されています品目は茶、たばこ、ミカン、魚、塩、紙、ろうそく、織物、金属製品、薬など多岐にわたり、2万1233駄(約2866トン)の荷物を扱ったと記されています。
中馬が通った道は「中馬街道」と呼ばれます。信州の松本や飯田から南下して平谷、根羽を通り、足助から名古屋へ至る道は「中馬本街道」と呼ばれ、根羽から新城、吉田(※2)へ向かうルートと、根羽から大桑峠を越えるルートに分かれます。後者が恵那市を通り名古屋へ至る「中馬脇街道」です。
中馬脇街道は、大桑峠から恵那市に入り、小笹原、本郷、漆原、大馬渡、中沢、東方から明智町の南北街道の交差点を通り、太田、吉良見から吹越で瑞浪市の陶に入り、土岐市の曾木、柿野から坂瀬峠を越えて瀬戸市の品野から大曾根、そして名古屋に至ります。
※1現在の長野県と山梨県
※2現在の豊橋市