文化 ふるさとの昔 18

■中山道(なかせんどう)
江戸と京都を北回りで結ぶ中山道は内陸を通り険しい山が多い道でした。峠越えの難所もたくさんあり、勝山から鵜沼へ抜ける観音坂やうとう峠もそうでした。
勝山と鵜沼間の断崖の岩の間には岩屋観音が祀られていました。岩屋観音は近在の住民や街道を行く旅人に厚く信仰されていました。
観音坂やうとう峠は旅人の難所であるとともに、物資の輸送を妨げていました。近代になると物資の流通が激しくなり輸送力の向上が求められました。明治20年ころから荷車や馬車の通行ができるように各地で道路の改修が進みました。勝山と鵜沼間の木曽川右岸も掘削され宝積寺回りで鵜沼に行けるようになり、うとう峠を越える必要がなくなりました。また洲崎(すざき)川(迫間(はざま)川)に橋がかけられ、急こう配の観音坂を上らなくてもよいようになりました。それまで物資や人の輸送は川船が多くを担ってきましたが、次第に陸路が利用されるようになりました。岩屋観音付近の中山道も広い道になりましたが、岩屋観音に至る急な参道は今も残っています。