くらし ふるさとの文化財

◆第9回 動く文化財

近年、人口減少や生活様式の変化などを背景に、地域の貴重な文化財や祭りなどが失われつつあります。市では、有形・無形の文化財をまちづくりに生かし、地域社会総がかりで文化財を継承していく一環として、文化財保存活用地域計画を作成します。6人の文化財保護審議委員が、身近な文化財を紹介します。

【市指定文化財建造物】
新所地区にある法泉寺(ほうせんじ)の山門は、市指定文化財建造物です。
建築年代は不明ですが、門の形式は両側に長屋(ながや)が付属する長屋門(ながやもん)(武家屋敷門とも呼ばれる)で、現在は門のみが残っています。屋根は入母屋(いりもや)造り・船枻(せがい)造りで、柱、梁(はり)、扉、天井板などの多くがケヤキ材で作られています。鬼瓦(おにがわら)には、堀江藩(舘山寺)を治めた大沢家の家紋「丸に花杏葉(ぎょうよう)」が刻まれています。なぜ、舘山寺の大沢家家紋が新所に見られるのでしょうか。

【移築された建物】
時は明治維新、当主であった大沢基寿(もとひさ)は、石高(こくだか)を一万石余と詐称(さしょう)して堀江藩を設立しました。その後、廃藩置県を経て堀江県となり、基寿は華族となりました。しかし、再調査により詐称は発覚。藩は解体され、基寿は士族に降格、一年半の禁固刑を受けることとなりました(万石(まんごく)事件)。そのため、堀江藩の陣屋建物は明治13年に競売にかけられ、明治15年には移築されました。この時期、新所村では浜名湖と掘留(ほりどめ)運河を経由して、浜松市菅原町(現在の浜松商工会議所付近)まで、60人が乗船できる大型蒸気船が就航し、人々や物資の往来が活発になり、村は隆盛を極めていました。新所村は堀江の対岸に位置し、船による建物資材の移送のしやすさもあり、多くの建物を落札しました。藩邸は旧新所小学校の校舎などとして使用され、表門は法泉寺の山門として利用されました。しかし、現在はこの山門のみが、堀江藩の遺構として残っています。この山門は、市の歴史のみならず、他の地域の歴史をも伝える、非常に興味深い建造物です。

(平野克典)

市内の文化財を紹介した冊子は市ウェブサイトで紹介しています。
※詳しくは、本紙5ページをご覧ください。