- 発行日 :
- 自治体名 : 愛知県岡崎市
- 広報紙名 : 市政だより おかざき No.1439 2025年8月号
多くの尊い命が犠牲になった岡崎空襲、そして太平洋戦争の終結から今年で80年。戦争体験者が急速に減っていく中、総務省が発表している人口推計では、戦後生まれの人の割合は令和6年には88・8%となり、約9割が「戦争を知らない世代」となっています。さらに、この岡崎において空襲があったことを知らないかたも多くなっています。
私たちは、戦争の記憶を風化させることなく、その悲惨さと平和の尊さを将来にわたって語り継いでいかなければなりません。戦後80年という節目の今こそ、過去から学び、平和の意味について改めて考える機会としていただきたいと思います。
岡崎市では戦争体験を次の世代へと受け継ぐとともに、平和な社会がこれからも続くことを願い、「戦後80年 平和祈念パネル展」及び「中央図書館ガラスケース展示 戦中資料」を開催します。この機会に、戦争の残した教訓と平和の大切さについて、今一度、考える機会にしてみませんか。
■インタビュー
▽あの日の記憶
志賀 富枝さん(99歳)
空襲当時は法性寺町在住
あれは菅生神社のお祭りの日だったね。真夜中に空襲警報が出て飛行機が何機か見えたけど何も落とさなかったんだよ。それで空襲警報が解除されたから一息ついてたんだけどね。30分くらい経ったのかな。急にババババって大きな音がして、びっくりして外を見てみたら線路のほうが火の海になっていたんだよ。えらいことだと思って怖かったねぇ。空には次から次へと編隊が来て、焼夷(しょうい)弾をどんどん雨みたいに落としているのが見えて驚いたのなんの。特に隣の天白町にたくさん落ちたのが見えたね。怖くて怖くて家から飛び出して防空壕(ごう)に入って震えていたよ。自分の家や周りの家とか田んぼにもたくさん落ちたけど、不発弾で爆発しなかったから助かったね。外をちょっとのぞいたら次の編隊が来ているのが見えたし、線路のほうは真っ赤に燃えていて地獄絵図みたいで、あれは本当に恐ろしかったなぁ。
■岡崎の地が一夜にして焼け野原に…
7月20日未明、岡崎空襲は始まりました。
空襲は、午前0時52分から1時間半にわたり行われ、硫黄島方面から飛来した120機余りのB29爆撃機などによって、焼夷弾を中心に1万2056発の爆弾が投下されました。日本家屋を効果的に焼き払うために開発された焼夷弾は、連尺町・康生町などの建物を次々に炎上させ、近世以来の城下町岡崎の中心部は、わずか数時間で壊滅状態となりました。
火災がおさまったのは午前10時。正午ごろには艦載機(かんさいき)の襲来により、焼け跡にたたずむ市民が機銃掃射の犠牲となりました。
空襲による死者・行方不明者は合わせて200人以上。当時の戸数の3分の1以上が焼失し、家を失った市民は、衣食住全般にわたって厳しく苦しい生活を余儀なくされました。
(新編岡崎市史近代4・史料近代下10より)
※犠牲になったかたの数や空襲の状況などは諸説あります。現在は280人ほどの見解です。
■戦時下の発行物(中央図書館所蔵)
『軍人家族心構十則』
出征し残された家族の心構えを記したもの
『隣組回覧板 昭和十九年度 第一次金属類決戦回収実施』
昭和19年7月
兵器生産のため金属の提供を呼びかけたもの
『慰問袋募集方依頼ノ件』
昭和15年5月3日
戦地にいる陸軍兵・海軍兵宛ての慰問袋作成の依頼とその注意をまとめたもの
『岡崎地区防空演習宣伝』
市中心部の住民が敵機の襲来に備え演習を行うこと、またその流れや注意をまとめたもの
■平和への願い~私たちは忘れない~
▽中央図書館ガラスケース展示 戦中資料
期間:8月1日(金)~9月30日(火)9時~21時
場所:図書館交流プラザ1階レファレンスライブラリー
内容:戦時中のパンフレット資料ほか むかし館所蔵の防災頭巾や鉄兜(てつかぶと)の展示
問合せ:中央図書館
【電話】23-3111【FAX】23-3165(水曜日休館)
▽戦後80年 平和祈念パネル展~広島の高校生が描いた原爆の絵~
期間:8月5日(火)~15日(金)8時30分~17時15分(閉庁日は除く)
場所:市役所東庁舎1階ロビー
内容:被爆体験証言者と高校生との共同制作による原爆の絵のパネルの展示(広島平和記念資料館から借用)、市美術博物館・中央図書館所蔵資料の展示
問合せ:秘書課
【電話】23-6006【FAX】23-6456
▽戦没者のために黙とうを
8月15日(金)に戦没者の慰霊と平和祈念のため、日本武道館において、全国戦没者追悼式が行われます。家庭や職場で12時から1分間の黙とうをしましょう。
問合せ:福祉政策課
【電話】23-6864【FAX】73-1750
問合せ:秘書課
【電話】23-6006【FAX】23-6456