文化 再発見!わがまちの文化財・施設紹介 vol.224

■広瀬(ひろせ)の渡(わたし)
市には、豊川(とよがわ)という大きな河川が流れています。河川といえば、飲料、農業用水、物資運搬の利水や、洪水被害を防ぐ治水、川遊びができるレジャースポットなどその機能は多岐にわたります。
このように、私たち新城市民にとって馴染み深い豊川について、長篠城跡から約4km下流地点で広範囲に水深が浅くなっている「広瀬」という場所をご存知でしょうか。
川路地域にある広瀬は「広瀬の渡」と呼ばれ、天正3年(1575)長篠・設楽原の戦い当時、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)が長篠城から脱出した際に、水中に巡らされた鳴子網を潜り抜け、上陸した地がこの広瀬であったと伝えられています。また、酒井忠次率(さかいただつぐ)いる軍勢も鳶ヶ巣山砦(とびがすやまとりで)の奇襲攻撃に進軍する途中、ここで豊川を徒渉したと伝えられています。
現在、広瀬の渡の地点を高所から眺望すると、川底に堆積した河原石がゴツゴツと水面に表れているため、周囲の川底との違いを明瞭に一目で知ることができます。
長篠・設楽原の戦いから今年で450年の時が経ちましたが、今も昔も変わらない姿がここには感じられます。

問合せ:長篠城址史跡保存館
【電話】32-0162