くらし ガイドボランティアが体験した伊勢湾台風

伊勢湾台風から令和6年9月26日で65年が経過しました。このコーナーでは、現在ガイドボランティアとして活躍しているメンバーの被災体験を紹介します。

◆(8)災害後の厳しい現実
私の父は医者をしていて自宅は当時珍しい3階建ての病院だったので、あの日は近所の人や患者さんがたくさん自宅に避難してきた。翌朝には辺り一面水だらけで、しばらくしたら小学校の担任の先生がボートで様子を見に来てくれた。
名古屋の旧振甫プール(千種区振甫町)の近くの知人宅に疎開したが、編入した小学校では教科書も勉強の進度も違ったのでずいぶん困った。結局そのまま名古屋の小学校を卒業し、弥富に戻らなかったので地元とのつながりがなくなってしまった。
父は被災地の往診などで全く自宅にいる時間がないほど忙しく、台風からちょうど1年後に他界してしまった。当時は中学1年生だったが悔しく思い、大人になってからも「親父はどんな生き様だったんだろう。こういう場合はどんなふうに判断して生きてきたんだろう。酒を組み交わしながら語りたかったな」と、つくづく残念に思った。
台風の後に鍋田から流されてきたという女の子と話したが、その子は家族で1人だけ助かったそうで、災害後の生活が本当に大変だったと思う。
災害発生時だけではなくて、その後どう生きるか、どう生活を再建するのかというのがすごく問題だったように思う。
―成島有史、当時桜小学校6年生