くらし 東浦のチカラ vol.23

ちょっと話題の町出身・町内で活躍している方を住民自治課で発掘し、2か月に1回紹介します!

■超長距離ランナー 風見尚さん
◇プロフィール
100kmを1人で走る過酷なマラソン「100kmウルトラマラソン」の元世界記録保持者。駅伝の強豪である駒澤大学を卒業後、愛三工業株式会社に入社。現在は、フルタイムで働きながら一般ランナーとしてマラソンに力を注ぐ。

2018年、100kmウルトラマラソンの世界記録が、風見さんによって20年ぶりに塗り替えられた。これまでの世界記録を4分以上縮める快挙だった。
「小学生の頃はとにかくゲーム好きで、逆に運動は苦手。自転車すら乗れませんでした。そのため、おこづかいを貰うために、親の職場と家の間の約3kmを毎日のように走るしかなかったんです。そのおかげか、長距離を走ることだけは人並み以上にできるようになりました。長距離走が好きになったきっかけです」。
中学・高校と陸上部に入り、本格的に長距離走に取り組んだ。大学は駒澤大学へ進学。長距離走の大会の中で最も華がある大会の1つ「箱根駅伝」を走るため、必死にレギュラーを争った。結果は4年連続で補欠選手。箱根路を走ることはなかった。「4年生の箱根駅伝では、大会当日、レギュラーから補欠選手に変更されました。実際に走れるか走れないかは、気持ちとしては雲泥の差。とても悔しかったです」と振り返る。
その後も長距離走の世界は甘くなかった。大学卒業後は愛三工業株式会社の陸上部に入部するも成績は振るわず、4年で退部。その後、知人ランナーとの会話の中で100kmウルトラマラソンの存在を知る。これまでうまく結果が出せなかったが、試しに距離を伸ばしてみたところ案外走ることができた。距離を延ばした先にさらなる自分の可能性を感じ、超長距離走の世界へ飛び込んだ。
初挑戦では「100kmは長すぎた…」と途中棄権。その6年後、風見さんは世界記録を樹立する。「当時、母は闘病生活を送っていました。これまで受けた多くの恩を結果で返したい、勇気づけられる話題を届けたいという思いが、100kmを走り切る大きな原動力でした。世界記録が出た時は、記録が出たうれしさより、これまで苦労をかけた親によい報告ができるという気持ちでいっぱいでした」。
世界記録樹立から約7年が経った今でも、毎日20kmを欠かさず走る。コツコツの積み重ねがなによりも大切だと話す風見さん。〝コツコツ〞の域をはるかに超える努力には、これまで支えてくれた方への感謝があった。