- 発行日 :
- 自治体名 : 三重県伊賀市
- 広報紙名 : 広報いが 2025年8月号
■稲森 彦博さん(伊賀市音羽)
父はサイパンで戦死しました。
母も早くに亡くしました。私が13歳の時、母の初盆の日に父の戦死公報が届きました。
祖母ときょうだい3人で親戚に助けてもらいながら生活しましたが、大変難儀しました。
■福森 千恵子さん(伊賀市古山界外)
父は私が3歳の時に出征し、9歳の頃に長江の上流で魚雷を受けて戦死しました。
慰霊親善訪問で漢口に行き、慰霊祭を行いました。慰霊祭の時、「お父さん」という言葉を聞いた途端、泣き崩れてしまいました。
■川本 真澄さん(伊賀市古郡)
8月8日、空襲のサイレンが鳴りました。神戸小学校の運動場周辺に防空壕があり、避難することになりました。伊賀神戸方面から木津川沿いを「バリバリッ」と大きな音を立てて、戦闘機が超低空飛行で飛んでいて、操縦士の顔が見えました。
■奥野 忠彦さん(伊賀市音羽)
私がまだ母親のおなかの中に居る時に父は出征しました。
祖父も早くに亡くしていたので、貧しく辛かったのを覚えています。
先生に頼んで姉と学校を休んで農作業をさせてもらっていました。そうしなければ生活ができませんでした。
■福森 昌生さん(伊賀市依那具)
大阪や京都から、闇米の買い出しに伊賀に来ていた人を思い出します。
鉄道に検閲が入ると闇米は没収されるので、伊賀線の途中で、窓から米袋を落としておいて、あとから歩いて回収に来ていました。
■服部 竹司さん(伊賀市西高倉)
父が戦死していたため、履歴書の父親の欄を空欄で出しましたが、あえて戦死と答えさせられました。当時、両親が揃っていないと就職差別を受け、採用されませんでした。
今の平和がどれだけ素晴らしいことか、若い人には理解してほしい。
■平和の思いを引き継いで、次の世代に紡いでいくために
市では、「再び戦争の惨劇を繰り返さない」という思いから、平成17年に「非核平和都市」を宣言し、平成20年からは「平和首長会議」に加盟しています。
また、伊賀市となった平成17年から、市内の中学生を広島平和記念式典に派遣し、戦争や核兵器の悲惨さ、平和の尊さを学び、考え、そして思いを伝える活動を続けてきました。
戦争の証言からも、戦争の悲惨さ、平和の尊さを実感することができると思います。戦争は最大の人権侵害です。私たち一人ひとりの生命・財産・自由を守るために、平和の思いを紡いでいきましょう。
問合せ:人権政策課
【電話】22-9683【FAX】22-9641