文化 伊賀の歴史余話 43

■青い目の人形「メリー」と「エリザベス」
昭和2(1927)年、アメリカで日本人移民に対する排斥(はいせき)運動が高まるなか、宣教師(せんきょうし)であるシドニー・ギューリックは、日米親善を目的に、友達同士のお使いとして「青い目の人形」約12,000体を日本全国の小学校などに贈りました。
青い目の人形が贈られた学校では、盛大な歓迎行事が行われました。伊賀市内でも歓迎の学芸会や、日米両国旗とともに日本人形や雛(ひな)人形を一緒に並べた「人形祭り」などの行事が開催されました。
しかし、昭和16(1941)年に太平洋戦争が始まると、青い目の人形は「敵国人形」として処分命令が下され、多くの人形が失われました。
そうしたなか市内で、守り伝えられた人形が旧花垣小学校の「エリザベス」と旧河合小学校の「メリー」です。旧花垣小学校のエリザベスは、来日した時は全校児童が運動場に整列して出迎えたそうです。児童の代表が人形を受け取る式典があり、校長先生によるお話があったともいいます。旧河合小学校では、昭和2年5月5日にメリーを歓迎する人形祭りが行われ、その後も、雛祭りに児童が家にある人形を持ち寄り、メリーとともに講堂に並べて祝いました。
旧河合小学校では、昭和63(1988)年に布で丁寧に包まれ、大きな木箱で保管されていたメリーが見つかりました。旧花垣小学校では講堂の屋根裏で見つかったようです。
戦争の影響が学校にある人形にまで及ぶ状況となるなか、友情の印であり、こどもたちが喜び迎え入れた人形が大切に守られたという事実は、平和の大切さとともに長く語り継がれるべき歴史といえます。

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