- 発行日 :
- 自治体名 : 三重県御浜町
- 広報紙名 : 広報みはま 令和7年5月号 No.673
■引作の大楠
幹回り15.7m、樹高31.4m、樹齢推定1500年の三重県最大のクスである「引作の大楠」は県の天然記念物に指定され、新日本名木百選にも選ばれています。この大楠にかつて伐採の危機が迫っていたのをご存じでしょうか?
明治39年の神社合祀令(じんじゃごうしれい)(神社の合併施策)により引作神社は、明治43年に阿田和神社に合祀され、大楠と7本の大杉が伐採されることになりました。
まず、大杉7本が伐採され、次に大楠も伐られようとしていました。新宮発の『牟婁新報』の記事「南郡無二の歴史樹、近く伐採されんとす、天下の志士よ、願くは起ってこの大樟樹保護に尽くされよ、時は今也」(明治44年6月27日付)を読んだ、世界的な博物学者である南方熊楠(みなかたくまぐす)が動いた。熊楠は新聞記事の切り抜きを、当時、政府の官僚だった柳田國男(やなぎたくにお)(日本民俗学の父)に送り、三重県知事への働きかけを依頼しました。この時熊楠は、自作の和歌も書き送っています。
「音(おと)にきく 熊野櫲樟日(くまのくすひ)の 大神(おおかみ)も 柳(やなぎ)の蔭(かげ)を頼(たの)むばかりぞ」
南方熊楠からの手紙を読んだ柳田國男は、さっそく三重県知事に要請状を出しました。
また、熊楠は故郷和歌山の朋友、杉村広太郎(すぎむらこうたろう)(当時は東京朝日新聞の記者)にも協力をあおぎ、「木(き)の路(じ)なる 熊野樟日(くまのくすひ)の 大神(おおかみ)も 偏(ひとえ)に頼(たの)む 杉村(すぎむら)の蔭(かげ)」と和歌を書き送りました。これに応えたかたちで、杉村は東京朝日新聞のコラム欄「五味龍」で、「一般の民が神と仰いでゐる霊木をむざむざと切り倒したりなんかして碌なことがあるものかと熊野辺の人は憤つてゐる」と書きました。
これらの働きかけの結果、三重県知事から保存の内訓が下され、伐採を免れたのでした。
※平成19年9月29日に大楠の枝が折れたが、その枝の一部が中央公民館で展示されています。
○参考文献
『別冊太陽 南方熊楠』中瀬喜陽(なかせひさはる)監修『御浜町文化協会機関紙』
文:御浜町文化財調査委員 山﨑(やまさき)るみ
問い合わせ:教育委員会(中央公民館)
【電話】2-3151