- 発行日 :
- 自治体名 : 滋賀県甲賀市
- 広報紙名 : 広報こうか 2025年8月1日号
◆忍者史料をひもとく(4) 甲賀者の住所
日本遺産に認定されている甲賀忍者。その特徴である「リアル忍者」を根拠づける古文書を紹介するシリーズの第4回目です。今回のテーマは「甲賀者(こうかもの)の住所」です。
世間では甲賀忍者と同一視されがちな甲賀者ですが、その実態は村や町に暮らした人たちで、その住所を記した記録が残ることもしばしばです。市内では、岸和田(きしわだ)藩岡部(おかべ)家に仕えた「甲賀士(こうかし)五十人」のものがよく確認されます。
甲賀士五十人は、寛永(かんえい)9年(1632)創設の50人からなる鉄砲隊で、藩主の行軍に随従する役目を持った、甲賀出身の者たちでした。当初は岡部家の居城・大垣(おおがき)(岐阜県)の城下に屋敷が与えられていましたが、岡部家が岸和田(大阪府)に入った同17年には、甲賀から出仕(しゅっし)する者もいたようです。そして遅くとも元禄(げんろく)13年(1700)ごろには50人全員が甲賀に住むようになっていました。
部隊創設当初の出身地が分かる史料によれば、町別では甲賀町22人、甲南町13人、土山町8人、水口町5人という内訳でした(ほかに不明2人)。興味深いのは、その住所を地図上に落としていくと、東海道や杣海道(そまかいどう)、あるいは伊賀道(いがみち)といった主要街道沿いに集中するという点です。これは、甲賀士たちが代替わりを続けた江戸時代後期でも同傾向なので、岸和田藩の甲賀者は、実際に出仕しやすい場所から雇用されていたとも言えるでしょう。
この情報は、前回(令和6年2月号)紹介した報告書『上野太真記(うえのたまき)家文書』に掲載されています。家の近くや、ふだん通るところなどに、かつて甲賀者が暮らした場所があるかどうかを調べてみるのも面白いかもしれません。
問合せ:歴史文化財課 普及活用係
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