くらし 未来へつなぐ平和のバトン(2)

■引き揚げの記憶を継承するまち
◇始まりは舞鶴西港から
第二次世界大戦後、日本政府は海外にいた約660万人の日本人を帰国させるための引き揚げ事業を開始。舞鶴市がその引揚港に定められると、昭和20年10月7日、最初の引揚船「雲仙丸」が舞鶴西港に到着しました。舞鶴での引き揚げ事業は、ここから始まりました。
その後、昭和21年には平地区の海兵団の宿舎を活用した引揚援護局が設置され、昭和33年の最後の引揚船「白山丸」の入港まで、約66万人の引揚者を温かく迎えました。

◇ユネスコ世界記憶遺産への登録
平成の時代となり、戦争を知らない世代が人口の大半を占めるようになり、戦争や引き揚げの記憶が風化しつつありました。そこで舞鶴市では、今から10年前、歴史を過去のものとするのではなく未来へ生かし、平和の尊さを広く発信するため、所蔵する引き揚げ関係資料570点を「舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」としてユネスコ世界記憶遺産へ申請。市民による「応援する会」の結成など、まちを上げた機運醸成の取り組みの結果、平成27年10月10日に世界的な重要性が認められ、登録が決定しました。
現在、資料は引揚記念館で活用・保存しており、「引き揚げのまち」として、未来へとその記憶を語り継いでいます。

◇シベリア抑留・引き揚げ画展
望郷の念や平和への願いを込めて描かれた絵画約140点を展示。
日時:10月7日(火)~12日(日)9時~17時(7日は12時から)
場所:総合文化会館

◇ユネスコ世界記憶遺産登録10周年特別展II
日時:10月11日(土)~来年1月18日(日)9時~17時
(毎週水曜日、12月29日~来年1月1日を除く)
場所:引揚記念館

◇共通

問い合わせ先:引揚記念館
【電話】68・0836

■歴史を知ることから始めてほしい
語りの会 吉田和子 さん(左)、谷口久乃 さん(右)
私たちは小学生の頃、引揚者を迎えたことを今でも鮮明に覚えています。お祭りのように明るくにぎやかな光景の中「おかえりなさい、ご苦労さまでした」と日の丸の旗を振り、慰問で踊りを披露しました。
当時は、子どもだったので戦争の悲惨さや苦しさを深く理解していたわけではありません。それでも、祖母から聞いた戦争で自分の子どもを亡くした話や、日々の暮らしを通して、戦争を身近なものとして感じながら育ってきました。
戦後80年、私たちの生活は目まぐるしく大きく変わりました。一方で、戦争を知らない若い世代との間に「ギャップ」が生まれていると感じます。若者にとって、戦争は教科書の中の出来事でしかなく、シベリア抑留もたった数行の文字でしかありません。
平和が続くように自分の国は自分で守るという意識を持ち、他人に言われるがままではなく、自分のこととして考え、判断できる大人になってほしいと願っています。
そのために、まずは引揚記念館などを訪問し「過去の歴史を知る」という一歩を踏み出してほしいです。知ることで初めて私たちは選択肢を持ち、判断ができるようになります。

■平和のバトンは国境を越えて
◇海を越えてつながる交流
舞鶴市と中央アジアのキルギス共和国は、大阪・関西万博をきっかけに、同国のタムガ村の日本人抑留者が舞鶴港へ引き揚げていたという縁を持つことが分かりました。そこで、日本人抑留者の足跡をたどるため、今年8月に市調査団が同国を訪問。昭和21年5月に、タムガ村へ移送された日本人抑留者125人が、建設途中のサナトリウム(療養所)を完成させる仕事に従事させられたこと、彼らが建てた建物や湖へ続く石階段が今も使われていることなど、当時の様子を知る人々から話を聞くことができました。

◇引き揚げを世界へ発信
9月8日〜14日に、大阪・関西万博の関西パビリオンで引き揚げに関する資料を展示。多くの来場者でにぎわう中、会場では、毎日、学生語り部が「引き揚げのまち舞鶴」や展示資料についての説明を行い、世界中から訪れた人々に若い世代による平和の思いが発信されました。
平和への思いや人を思いやる心、そして引き揚げの歴史が結んだ海外との交流を大切に育むことで、舞鶴市と世界との縁を、これからも平和で心豊かな未来へとつないでいきます。

担当:引揚記念館