くらし なにわマニア話 ボリューム9 幸町地域

■松下幸之助が働いた大阪電灯幸町営業所
松下幸之助の自伝私の行きかた考えかたなどによれば、明治43年 1910 10月21日、15歳の幸之助は大阪電灯株式会社 関西電力の前身の幸町営業所 幸町1丁目に内線見習工として採用されました。それまでは自転車店で奉公していましたが、大阪市が導入した最新鋭の路面電車を見て感動し、これからは電気の時代だ。と直観したとか。念願の入社で幸之助は熱心に働き、本来1年はかかるところを、わずか3か月半で見習工から担当者に最年少で昇格。初代通天閣の電灯工事に携わったりしています。この大阪電灯時代に思いついたのが改良ソケット 二股ソケットで、しかし当時の上司に酷評され、幸之助は独立を決意。大阪電灯を退職し、大正7年 1918 3月7日に松下電気器具製作所 現・パナソニックホールディングスを起業しました。幸之助23歳の春でした。

大阪市電気局の幸町修理工場。かつては大阪電灯の幸町発電所だった。出典 電灯市営の十年より

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