文化 令和6年度 府・市指定文化財

■大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ) 木造 聖徳太子及(および)二王子立像(りゅうぞう)〔府指定〕
聖徳太子像は、経箱(きょうばこ)を持つ殖栗王(えぐりおう)と如意(にょい)を持つ山背大兄王(やましろのおおえのおう)の像を伴い三尊形式となっています。簡潔な構造となだらかな衣文(えもん)の表現や落ち着きのある姿勢など平安時代後期の彫刻の特徴がみられますが、頭部が大きく腰の位置が低いプロポーションや骨格を意識した肉取りは鎌倉時代の特色を示しています。美豆良(みずら)を結って柄香炉(えごうろ)を執る太子像は、16歳の姿を表した孝養像(きょうようぞう)とされていますが、両手先と持物が後補(こうほ)であることから当初の姿であるかは明らかではありません。しかし、当初の像形を引き継いだものとすれば、現存する立像形式の孝養像としては最古例の一つに位置づけられます。二王子を伴う孝養像の立像は珍しく、着衣(ちゃくい)や衣文の表現は誇張がなく、自然な描写を見せ、品のある像となっており、彫刻史上また中河内の太子信仰の歴史を探るうえで極めて貴重な像です。

■盛光寺(じょうこうじ) 木造 南無仏(なむぶつ)太子像〔市指定〕
聖徳太子が亡くなってまもなく太子に対する信仰が起こり、生涯の奇跡的な物語をもとに絵画や彫刻がつくられました。そのひとつに太子が二歳の時に東に向かって「南無仏」と唱えて合掌したとされる姿を表現したのが南無仏太子像で、聖徳太子二歳像ともよばれています。
赤い長袴(ながばかま)をはき、頭部が大きく、体はふっくらとしていて乳幼児の肉付きのよさを強く意識していることがうかがえます。南無仏太子像は、二歳児の身長にふさわしく像高70cm前後の作例が多いですが、本像は約22cmと大変小さく、全体に四角張った印象と衣の線を誇張するなど南北朝時代の彫像の特徴がみられます。
本市において、最も古い南無仏太子像であり、蘇我氏と物部氏の戦いの舞台となり太子信仰の一翼を担う八尾市の歴史を語るうえで貴重な彫像です。

問合せ:観光・文化財課
【電話】924-8555【FAX】924-3995
ID:1016700