文化 コラム「柏原の歴史」

「周溝墓(しゅうこうぼ)誕生!」

周溝墓とは、溝を掘って方形もしくは円形の区画を造り、その区画内に土を盛り、埋葬施設を設ける弥生時代のお墓です。その起源は朝鮮半島にあり、稲作などと共に北部九州を経て近畿地方に伝わったと考えられています。
集団のお墓から、集団のリーダーなど個人のお墓となるとみられ、これがやがて古墳へと発展していきます。
柏原市内ではこれまでに、本郷遺跡で弥生時代中期と終末期の方形周溝墓が見つかっています。なかでも、終末期の周溝墓は、隣り合った2基のお墓が間の溝を共有するという変わった造りをしています。これを造った集団の規模などは分かりませんが、恐らくお墓が2基だけということはないでしょうから、周辺にも広がると考えられます。
そして、今回新たに堅下北スポーツ広場の西、法善寺遊水地予定地での公益財団法人大阪府文化財センターの発掘調査で、弥生時代中期から終末期の周溝墓7基が発見されました。今回の発見ポイントは、まず中期の大型方形周溝墓から、終末期の小型方形周溝墓へと変化していく一連の流れが見えることが挙げられます。そして、2つ目に中期の大型方形周溝墓に複数の埋葬施設が存在することがわかったことも重要です。さらに、周辺ではほとんど見られない円形周溝墓が見つかったことも挙げられます。
一体どんな集団がこれだけのお墓を造り続けたのか。そんなことも気になる魅力たっぷりな新発見です。