- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府藤井寺市
- 広報紙名 : 広報ふじいでら 令和7年5月号
【道明寺の歴史を語る 5 道明寺線と道明寺駅】
市内には、道明寺駅、土師ノ里駅、藤井寺駅の3つの近鉄の駅があります。道明寺駅は、大阪阿部野橋方面と古市方面に行く近鉄南大阪線の駅の一つであると同時に、北方向、柏原へ行く近鉄道明寺線の始発駅ともなっています。
道明寺線は、路線距離2.2キロメートルと短いものですが、道明寺駅とともに、明治時代以来の長い歴史を持っています。今回は、道明寺線と道明寺駅にまつわるお話をしたいと思います。
明治時代、現在の藤井寺市域を含む南河内地方周辺の鉄道の便としては、明治22(1889)年に開業した大阪鉄道(近鉄の前身とは別会社)の柏原駅(現在のJR柏原駅)がありました。しかし、柏原駅は南河内地方と大和川で隔てられていました。
このため、地元住民の誘致運動などもあり、河陽鉄道が設立されます。そして、南河内地方から大阪への便の確保と、周辺の名所への観光客の誘致などを目的として、現在の道明寺線を含む、柏原・古市間の鉄道路線を開業します。これは明治31(1898)年3月24日のことで、道明寺駅も同日開業しました。その後、4月14日には古市・富田林間も開業することになります。
開業当初は、道明寺天満宮の菜種御供(なたねごくう)の参拝客などとで乗客も多く、順調でしたが、やがて営業困難な状況になります。このため、新たに河南鉄道が設立され、明治32(1899)年、河陽鉄道の事業を引き継ぐことになります。
事業を引き継いだ河南鉄道は、路線の大阪への延伸をめざします。やがてそれは実を結び、大正7(1918)年6月22日に鉄道大臣から、道明寺・大阪天王寺(現在の大阪阿部野橋)間の延長線の敷設の許可を受けることができたのです。
ところで、河南鉄道の大阪への路線の延伸計画については、例えば古市と大阪天王寺を直接結ぶ路線といったような、さまざまな路線誘致運動が地元では起こったと伝えられています。なお、河南鉄道は、大正8(1919)年3月8日、大阪鉄道株式会社に改称します。
このような経緯を経て、大正11(1922)年4月18日に、道明寺・布忍間の営業が開始され、藤井寺駅も同日開業します。大正12(1923)年4月13日には布忍・大阪天王寺間が開業し、現在のような路線が完成しました。ちなみに、土師ノ里駅が開業したのは、大正13(1924)年6月1日です。
以上に見たように、道明寺線と道明寺駅の開業は、明治31(1898)年3月24日のことです。現在、道明寺線は、道明寺駅と柏原駅を結ぶ路線として、大和川を鉄橋で越えて、多くの歴史を刻みながら走り続けています。
(文化財保護課 新開 義夫)