文化 第11回 ええもんみっけ!東大阪歴史手帳

今回の「ええもん」は日下と江戸時代の文化人・上田秋成の関わりをご紹介します。
『雨月物語』などの文学作品で有名な上田秋成は、眼病治療のために日下の文化人・唯心尼(紫蓮尼)に招かれて、寛政10(1798)年5月から9月まで日下に滞在していました。秋成が日下滞在時のできごとを記した随筆『山霧記』によると、6月14日には石切劔箭神社の祭礼に行き、6月末には久々の雨を祝って村人たちと花を並べて歌会を催すなど、悠々自適な日々を過ごしていたようです。
江戸時代の日下では、河澄家の書院「棲鶴楼」や森家の庭園「鳴鶴園」に近郷の文化人たちが集い、文芸サロンが形成されていました。秋成も河澄家や森家を訪ね、歌を詠んで河澄常之、森公道ら現地の文化人たちと交流を深めていました。
日下での療養中、秋成は唯心尼の庵に滞在していましたが、唯心尼が体調を崩した際に、正法寺に居を移していました。当時の正法寺には鎮守天神社があり、秋成は松梅の歌五十首を詠み、眼病の平癒を祈願しています。
正法寺は明治時代に廃寺となり、跡地にはクスノキが残されています。秋成が日下の文化人たちと交流を深めた「棲鶴楼」は、改築されてはいるものの、旧河澄家に現存し、公開されています。皆さんもぜひ秋成に想いを馳せて日下を歩いてみてください。

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