文化 我がまち朝来 再発見(第212回)

■「黄泉(よみ)の国への旅の道具」
大阪・関西万博が開催され、はや3カ月が経とうとしています。会場に足を運ばれた人もおられるのではないでしょうか。「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマのもと、自らにとって「幸福な生き方とは何か」を正面から問う、初めての万博です。現代の日本の死生観はさまざまな要因により多様化していますが、古墳時代の人々は死者を葬る場所を「黄泉の国」と捉え、死者の霊が永遠に住む場所と考え古墳を築きました。
朝来市の古墳になりますが、山東町にある臨済宗妙心寺派である大同寺の裏山にあたる大同寺古墳から「陶棺(とうかん)」が出土しています。「陶棺」とは粘土でつくり焼成した陶製の棺のことで、古墳や横穴墓(おうけつぼ)におさめられました。焼成方法の違いによって埴輪と同じく土師(はじ)質と須恵(すえ)質があり、基本的に棺蓋と棺身の2つに分かれて身の底部には円筒状の脚が多数つくのが特徴です。蓋の形は、大きく分けて亀の甲羅のようにドーム状の形をしている「亀甲形(きっこうがた)」、屋根形をしている「家形」などに分かれ、さらに家形は屋根の形から寄棟造りの家を表現した「四柱式(しちゅうしき)(寄棟式(よせむねしき))」と三角屋根と呼ばれている「切妻式(きりづましき)」に分類されます。出土例の約75%が岡山県から出土しているため、岡山県を中心に周辺地域に広がっていったと考えられています。
大同寺古墳から出土した「陶棺」は昭和24年に古墳の中から1基発掘され、大阪市立大学が研究のため一度持ち帰られましたが、昭和50年2月に返還されました。長さは真っすぐに伸ばした状態で埋葬する伸展葬用の棺であったと考えられ、多くの小規模豪族が古墳づくりを始めたことで地域をまとめる王の影響力が小さくなっていく中、吉備地方と結びつきをもつ粟鹿地域の有力な人物が埋葬されていたと想像できます。また細い突帯が脚まで伸びていることや棺の底などに丸い穴があいていることなどが大きな特徴といえます。類例としては市内の白井岩屋谷古墳から陶棺の一部が出土しているほか、東山12号墳(多可郡多可町)からも出土しています。しかし、このような特徴をもつ陶棺の事例は少なく、謎が多いのも実情です。いずれにせよ、こうした陶棺の出土は但馬では珍しく、最古最大の貴重な資料なのです。
朝来市埋蔵文化財センターでは、朝来市制20周年を記念して指定文化財を中心に朝来の歴史を振り返る「文化財で巡る朝来の歴史展」を開催します。会期は前期:7月5日(土)~9月15日(月・祝)、後期:9月25日(木)~12月14日(日)です。前期は縄文から古代にかけて、後期は中世から近代にかけての歴史を紹介します。今回紹介した「陶棺」は前期で展示しています。そのほかにも普段あまり目にすることができない県指定・市指定文化財を多数展示していますので、この機会にぜひお越しください。
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