くらし 町長メッセージ

■心に残る歌
印南町長 日裏 勝己(ひうらかつみ)

現在の日高川町は、2005年(平成17年)5月1日、川辺町、中津村、美山村が合併し、本年で20周年の節目を迎えられました。心よりお慶び申し上げます。6月某日、日高川町に住む知人から、20周年の記念事業で「南こうせつさんの記念コンサートがあり、チケットを2枚とっていたが、行けなくなったのでどうですか?」との電話がありました。是非とのことで家内と出かけることにしました。
南こうせつ氏は1949年(昭和24年)生まれで、私より2つ年上になり、来場される皆さんも同年代の方が多く、その内9割が女性でありました。会場では開演前から手拍子が始まり、今か今かと心待ちに開演を迎えました。「青春の傷み」「妹」から始まり、巧みな語り口と歌唱力によって、一瞬にして「南こうせつの世界」に引き込まれました。大ヒットした「神田川」は最後に歌う曲として残されましたが、どの歌も心に残る青春時代にタイムスリップしたような懐かしさと、何とも言えない気持ちになりました。
2011年の紀伊半島大水害の翌年に、復興コンサートとして同じく交流センターの舞台で歌った時の話もされましたが、作詞、作曲された「幼い日に」の兄弟愛の話や「おかえりの唄」の最後の歌詞の一部を「日高川」と歌われていたことが心に残りました。
1973年(昭和48年)に発売された「南こうせつとかぐや姫」時代の「神田川」を作詞されたのは故喜多條忠(きたじょうまこと)氏で、放送作家をしていたときに出会った南こうせつ氏に頼まれ作詞を行ったそうです。喜多條氏は当時25歳で、神田川のそばを通りかかった際、19歳のときに同じ早稲田大生の髪の長い女学生と三畳一間のアパートで1年間だけ同棲した日々を思い出し、約30分で一気に詩を書き上げたそうです。さっそく南氏に電話をかけ詩を読み上げると、南氏はそれを折り込みチラシに書き留めながら即興で思い浮かんだメロディを口ずさみ、電話を切った3分後にはもう曲が完成していたとのことです。
一番の歌詞の中で、「風呂屋でいつも待たされた」というのは、喜多條氏が銭湯で飼われていた鯉か金魚に餌をやったり、テレビでプロレス中継を見たりして、寒がりの恋人は赤いマフラーを首に巻いて待っていたことをもとにつくられたそうです。風呂屋は「安兵衛湯」で、今は跡地にマンションが建てられているとのことです。1年間の同棲で別れた彼女は今どうしているのかな?と少し気になります。
私もこの曲を聞いたのは二十歳そこそこで、ラジオからよく流れていたことを思い出します。今思えば50年前のできごとでありますが、その頃を思い出させる歌の力には凄いものを感じます。