くらし まちをよくするマイレポート

また八雲が歩きはじめるまち
一般社団法人 八雲会 内田融(うちだゆう)

NHKの連続テレビ小説「ばけばけ」のおかげで「小泉八雲とセツが出会ったまち・松江」という標語を、市内いたるところで見るようになりました。10年も前ですが、市で策定された「まちづくり構想」長期ビジョンのサブタイトルなどに「また八雲が歩きはじめるまち」という標語が使われて、嬉しく思ったことを思い出しました。
一般には「小泉八雲」がほとんど知られていなかった大正4年に、現在の小泉八雲旧居の持ち主であった根岸磐井(ねぎしいわい)を中心とする人々によって、「八雲会」が創立されました。いま私たち「八雲会」の前身です。当時の根岸磐井と八雲会の思いは「旧居の永久保存」と「記念館の設立」でした。
昭和40年に再出発した「八雲会」では機関誌「へるん」を年刊で発行しています。1冊丸ごと小泉八雲本。全国の会員などから寄せられた小研究・エッセイを掲載しています。学術的・専門的なものではない、ささやかなものながら、八雲とその周辺についての小さな新発見、新しい視点を発表・発信し続けてきました。今年は62号を発行しました。毎号約10編とすると600件以上です。「また八雲が歩きはじめるまち」というフレーズは、八雲の思いを理解し生かし、将来に残したいというメッセージだと思います。「へるん」を発行し続けていることは、これに少しは貢献しているのではないかと自負しているところです。
八雲旧居は国指定史跡として現在までそのまま保存されています。しかし、八雲の職場であった旧松江中学校舎は50年前に保存運動の効なく解体されました(現在の県警本部の地)。その隣にあった明治の松江警察署の建物が、雑賀町に移転され解体中であることを知って驚いたのは10年ほど前でした。八雲も訪問し、診察を受けたことが明らかな旧田野医院(苧町)の建物も、いつのまにかなくなってしまいました。市内にわずかに残っていた八雲時代の面影は次々失われています。
一方、八雲が最も信頼した同僚で友人であった西田千太郎の旧宅が、新雑賀町にひっそりと当時とほぼそのままの形で残っています。西田の残した日記によれば、八雲はこの家を30回にわたって訪問しています。最近これを生かそうという活動が進められているのは私どもにとってわずかな光明です。これを将来にわたって何とか残す手立てはないものかと日々思っています。