- 発行日 :
- 自治体名 : 岡山県吉備中央町
- 広報紙名 : 広報きびちゅうおう 2025年11月号 Vol.253
~町内にある文化財を探訪してみよう~
■黒土郷倉(くろつちごうぐら)
町指定重要文化財(建造物)
▽解説
郷倉(ごうぐら)とは、江戸時代に入って全国各村に建てられた公共の倉庫です。領主に納める年貢米(ねんぐまい)を一時保管したり、凶作や飢饉(ききん)に備えて米を貯めたりする場所として活用されました。
江戸時代、黒土地区は備中松山藩(びっちゅうまつやまはん)(高梁市)や伊勢亀山藩(いせかめやまはん)(三重県亀山市)が所有していましたが、明治時代に入ると地租改正(ちそかいせい)により、年貢米を納めることは無くなったため、ほとんどの郷倉は姿を消していきました。しかし、保存状態がよく遺のこされた黒土郷倉は、当時の時代背景を知る貴重な文化財として、歴史的価値を現代に伝えています。
▽吉備中央町文化財保護委員からのワンポイントアドバイス
〔大木直太郎(おおぎなおたろう)委員〕
江戸時代中頃、延享(えんきょう)元年(1744年)に備中松山藩主(びっちゅうまつやまはんしゅ)(6万石)の石川総慶(いしかわふさよし)が伊勢亀山藩(いせかめやまはん)へ移封(いほう)されたとき、伊勢亀山藩主(5万石)であった板倉勝澄(いたくらかつずみ)が交代で備中松山藩主となりました。そのときにできた石高調整(こくだかちょうせい)のため、黒土地区は旧北房町ち中津井地区(きゅうほくぼうょうなかついちく)(現在の真庭市)などと合わせて「備中国御残領」として、そのまま明治維新(めいじいしん)まで伊勢亀山藩の領地となりました。中津井に現地支配の陣屋が置かれ、その重要な業務として年貢の賦課(ふか)や収納がありました。亀山藩の年貢賦課高は、おおむね収穫高(しゅうかくだか)の3割5分程度でしたが、それでも近隣(きんりん)の大名領に比べると、やや低率であったといわれています。
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