- 発行日 :
- 自治体名 : 香川県さぬき市
- 広報紙名 : 広報さぬき 令和7年2月号
■「当たり前のない世界」
中学校三年
みなさんは「当たり前」とは何か考えたことはありますか。当たり前という言葉をよく耳にしますが、そもそも当たり前とは何なのでしょうか。誰かが「当たり前」という言葉を使うとき、それはその人自身が思っていることであり、言われた人は理解ができないことかもしれません。
私はよく「女の子だから家事ができるのは当たり前」のように「こうだからこうであるのは当たり前」と言われることがあります。「受験生なんだから勉強するのは当たり前」「もう中学三年生だからこれくらいするのは当たり前」このように「当たり前」という言葉はたくさん使われていますが、それは本当に「当たり前」といえるのでしょうか。私は、それは「当たり前」ではなく、その人の考えの押し付けだと思います。「当たり前」とは、特別な説明を必要とせず、多くの人々が共有する認識や価値観を表すことだと言われています。ですが、すべての人が同じ価値観を持っているわけではないので、「当たり前」と言われて納得できない人ももちろんいます。「当たり前」という考えの押し付けで、つらい思いをしていたり悩んだりしている人もいるかもしれません。
私は以前、何気なくテレビを見ていると流れてきたあるCMが目に留まりました。そのCMは、赤ちゃんの泣き声に対して「ちょっと待ってね」という言葉、「子どもが熱を出したので仕事を休ませてほしい」という言葉、「我が社の経営方針を発表します」という言葉、「サッカーしようよ」という言葉…この言葉はすべて、文字でテレビ画面に表示されているだけでした。よく分からないCMだなぁと思いながら見ていると、このCMの最後にはこのようなテロップが流れたのです。
「聞こえてきたのは男性の声ですか?女性の声ですか?」
私はこのCMを見て、はっとしました。
先ほども述べたように、私自身「女なんだから家事ができて当たり前」と言われて不満に思った経験があります。ご飯や子どもの世話は女性が担うことと決まっていません。どんな物事に対しても「これは男性がするもの」「これは女性がして当たり前」という区別はないはずです。母親が一人で育児を抱え込み、自分自身が体調を崩したというニュースも見たことがあります。世間が思っている「無意識の偏見」をなくしていかないと、苦しむ人はなくならないと思います。
私は「当たり前」なんてないと思います。ですが、今も世の中ではさまざまな「当たり前」が定着しています。そのせいで苦しんだり悲しんだりする人がいなくなるように、まずは一人一人の意見、考えを聞くべきだと思います。そうすれば自分の中の「当たり前」が消え、新たな考えがうまれるかもしれません。自分の考えだけを押し通すのではなく、ほかの人の考えも聞き入れ、自分の意見も他の人の考えも尊重することが大切だと思います。ほかの人の意見を取り入れることで見えてくるもの、感じること、考えることが増えたり変わったりすると思います。自分の意見と相手の意見を両方取り入れることは難しいですが、改善し、少しずつでもお互いが納得する方向へ物事を考えることはできると思います。
誰しもが同じ価値観や考えを持つことはありません。だからこそ他人の気持ち、価値観、意見を尊重し、つらい人、苦しむ人がいなくなるようにしていくことが大切だと私は思います。
▽自分の価値観の「当たり前」が、誰かを苦しめているかもしれないことに気づかされました。一人ひとりの意見や考えを認め合い、尊重し合える社会にしていきたいですね。
「~市内の小・中学生の作文~さぬき市のホームページでも紹介しています!」