- 発行日 :
- 自治体名 : 香川県さぬき市
- 広報紙名 : 広報さぬき 令和7年3月号
■ありのままの「自分」
小学校六年
ある女の子が「バトルアニメが好き!」と笑顔で話していた。私は「えっ?それは、男の子が観るものでしょ。」と思わず言葉が口をついて出た。
先日、人権についての授業があった。先生から学習内容が書かれた用紙が配布された。そこにいわ感のあるセリフがあった。「男なら泣かずに元気出して。」一見、男の子をはげます一言に思える。しかし、「男なら泣かずに」ということは、「男は泣かない」と決めつけている。その時、ふとあの時の女の子との出来事を思い出した。
私は、「お母さんのお手伝いしてえらいなあ。さすが女の子やね。」とほめられたことがある。逆に、「女のくせに食事のマナーがなってない。」としかられたこともある。自分は女の子だからお手伝いをしたのではないし、女の子なのに食事のマナーが悪いのがいけないわけではない。男の子「でも」お手伝いをする人がいる。女の子「でも」行儀の悪い人もいる。しかし、「でも」がついているところからまちがえていた。「女の子でも」や「男の子でも」ではなく、好きだから「好き」。自分がしたいと思うから「する」。自分の「好き」を他人が勝手に決める権利はない。強制された道を行く「つらさ」と、自分で選択した道を行く「幸せ」は大きくちがう。
「バトルアニメは男」と言い放った自分。「男は泣かない」と決めつけた人。「女の子だから」とほめたりしかったりした人。その発言は本当に「正しかった」のだろうか。私は「女の子だから」と言われて悲しかった。逆に自分も「男の子が観るもの」と言い、相手を傷つけてしまった。
私には小説家になるという夢がある。「女の子らしい」「男の子らしい」ことが素晴らしいと言われたとしても、自分の意志にほこりを持って生きたい。胸を張ってさけぶ。いつか、すてきな小説家になるぞ!
普段の何気ない会話の中にも、人を傷つけたり差別につながったりすることがあると改めて考えさせられました。誰もが、何にも決めつけられることなく、自分らしく生きられる社会にしていきたいですね。
「~市内の小・中学生の作文~さぬき市のホームページでも紹介しています!」