文化 〔特集〕Special Feature 凧文化を継ぐ人たち(1)

―いかざき大凧合戦の舞台裏―
毎年5月5日に開かれる「いかざき大凧合戦」。今年も五十崎の空に無数の大凧が舞い、たくさんの笑顔があふれました。その起源は鎌倉時代。男子出生の初節句の祝いとして凧を揚げていたのが、風のいたずらで糸がもつれ合い、合戦が始まったと伝えられています。400年前と変わらない大空を舞台に続いてきた大凧合戦ですが、大凧を作る職人の高齢化や担い手不足といった課題に直面しています。
今回の特集では、大凧合戦を裏側で支える人たちの思いを集めました。皆さんの声を聞いて、これからのいかざき大凧合戦をどうつないでいくか、一緒に考えてみませんか。

◼︎大凧合戦を支える凧師の「技」と「思い」
佐伯忠廣(ただひろ)さんは、いかざき大凧合戦用の「けんか凧」を作る凧師です。現在、町でけんか凧を手掛けるのは佐伯さんただ一人。大凧合戦や地域への思いを聞きました。
◇今に生きる凧文化
竹を割いて、骨組みを作り、和紙を貼る――。築100年を超える自宅の作業場で手を動かすのは、この道40年のベテラン・佐伯忠廣さん。いかざき大凧合戦で揚げられる合戦用の「けんか凧」を、81歳の今なお作り続けています。
五十崎の凧は、風が少ない盆地でも揚がるよう工夫されていて、よく揚がる凧として有名です。揚げるだけなら五十崎の凧にかなう凧はないそう。良質な和紙と竹があるから、いい凧文化が根付いたのだといわれています。

◇合戦用「けんか凧」を作る町内唯一の凧師
昭和の終わりごろまでは、忠廣さんのお父さんを含め、けんか凧を作る凧師が4人ほどいました。しかし現在は、忠廣さん一人だけ――。「父が高齢で一線を退いた時、跡を継ぐ決心をした。生計を立てるとか、お金のためでなく、『凧合戦を残さないけん』という思いが強かった」と忠廣さんは力を込めます。

◇この道40年の「匠の技」
毎年、依頼される凧の数は約200統。農業の傍ら、合間を縫って制作しています。紙貼りや文字描きは、妻の幸子(さちこ)さんがお手伝い。「家内がおってくれるけん、丁寧な凧作りができる」と感謝する忠廣さん。夫婦二人三脚が、頑張り続ける力になっています。竹を割き、凧骨を作るのは忠廣さんの役目。竹包丁で割くその厚さはわずか数ミリ。中心を厚く、両端に向かって均等に薄くなるように割く技術は、まさに匠の技。「厚すぎると重くて揚がらんし、逆に薄すぎると折れてしまう。このあんばいは、何度もやって、体で覚えるしかない」と、熟練の技を見せてくれます。

◇長く続けたい、でも――、
「毎年これが最後かもしれんと思いながら作りよる」と話す忠廣さん。「大凧合戦は五十崎らしさそのもの。『伝統の灯を消しちゃいかん』という強い使命感で、今まで頑張ってきた。でも私も家内もずいぶん年を取った。まだ後継者はいない――。あとどのくらいできるか分からんけれど、最後まで凧師としての誇りを持ち続けたい」と思いを語ります。五十崎の大空を舞う凧は、凧師の熟練の技と地域への思いに支えられて、今日まで続いているのです。

「伝統の灯を消しちゃいけん、できるならずっと作り続けたいでも、いつまで体が持つじゃろうか凧師として、何としても守りたい――」
凧師 佐伯忠廣(ただひろ)さん(81)〔古田〕
凧骨を作る忠廣さん。その数は年間約2,000本にも上る。凧が揚がるか揚らないかを左右する重要な工程で、一番神経を使う。「きちんと揚がるように作らないと凧に失礼」と、真剣な眼差しで作業をしていた

◇こうしてできる、いかざき大凧合戦の「けんか凧」
(1)竹を割く
山から竹を切り出し、竹包丁で割いていく。厚さは数ミリ。熟練の技が光る
(2)凧骨を組む
1統に6本の凧骨を使う。横4本、縦2本を組み合わせ、凧糸で固定する
(3)和紙を貼ってつなぐ
けんか凧の大きさは縦165センチ×横135センチ。その大きさに和紙をつなぎ合わせる
(4)和紙を貼る
凧骨にのりを塗り、つなぎ合わせた和紙をしっかりと貼っていく
(5)凧文字描き
天神側の「天」と五十崎側の「五」の凧文字を、枠いっぱいに描く