文化 [令和版]山城作業日記 河後森城(かごもりじょう)からこんにちは-16-

前回解説した河後森城の道は、城内の至るところに形成されていた可能性が高いのですが、これまでの発掘調査によって確認できた最も長いルートは、本郭(ほんかく)から東側の古城周辺にかけての約150メートルの範囲となります。このルートは、城の心臓部と言える最高地点の本郭と連動していること、また道幅が広いところで2.2メートルになるなど、最大規模であることからみて、城内の幹線道として位置づけられます。
また、この道は城内側となる南側斜面を通っていますが、古城近くの大型堀切(ほりきり)の底に至ると城外側の北向きへと大きくルートを変えます。つまり、この堀底は城の内と外を隔てる境界となっており、防御上重要な地点となっています。
そのためなのか、堀底では大小様々な柱穴の痕跡が発見されており、実に、6基もの門が設けられたと推測できます。さらに、この門は互いに重なりあっていることから同時に存在したものではなく、何度も建て替えが行われていたものと言えます。同一地点における度重なる城門の改修は、当時の戦闘の激しさを物語っているようです。
(続く)