文化 直方の歴史と文化(第118回)

■文化勲章を受章した 高橋睦郎(たかはしむつお)氏は直方に住んでいた

○本年度の文化勲章受章者
本年度の文化勲章の親授式が昨年11月3日、皇居・宮殿で催され、受賞者7名に天皇陛下から勲章が手渡されました。
受賞者を代表して詩人・歌人・俳人の高橋睦郎氏が「少しでも今日の栄誉にふさわしく相成るべく努力していかなければと決意しております」と挨拶され、陛下が「今後とも、それぞれの分野の発展のために力を尽くされるよう願っています」とねぎらわれました。

○高橋睦郎氏の経歴
文化人として最高の栄誉を受けられた高橋睦郎氏は昭和十二年(1937年)生まれの86歳、八幡市(現在の北九州市八幡東区)に生まれ、門司市(現在の北九州市門司区)に転居し福岡県立門司東高校(統合を経て現在は福岡県立門司学園高校)から福岡学芸大学(現在の福岡教育大学)へ進み、卒業後の昭和三十七年(1962年)に上京されました。

○多分野での文化活動
上京後は三島由紀夫など多くの文学者、芸術家と交流を深め、詩作のみならず俳句・短歌・オペラ・新作能などの分野でも精力的に活動を続け詩集の他に多数の著作があります。
これまでも紫綬褒章に続き、平成二十九年(2017年)に文化功労者、日本芸術院会員に選出されています。

○幼少期を上新入で過ごす
高橋睦郎氏が幼少時に直方市に住んでおられたことは直方市民にほとんど知られていないので紹介します。八幡市前田の八幡製鐵所の社宅で誕生しましたが、ブリキ工の父が生後間もなく病死し母子家庭となって父方の祖父母が住む直方市郊外の上新入に転居、新入小学校(当時は国民学校初等科)一年生まで在学して門司市に転居しました。
日本経済新聞の夕刊コラム「プロムナード」に平成二十二年(2010年)の7月から12月まで連載されたものの中から当時の直方に関する記述を引用します。
『私の最初の記憶の家は祖父母の家だ。筑豊の炭鉱町直方郊外上新入の明神池という溜池のほとりの藁屋根の一軒家。(中略)間もなく母は私を祖父母に預けて中津、下関、中国天津へと働きに出たから、家には祖父母と私だけが残された。とはいえ、祖父母は昼間三菱炭鉱の営繕所で働き、退けた後も暗くなるまであちこちに畑を作っていたため、私は(中略)転々と預けられた。』
『筑豊直方上新入松芳町の祖母家の前は明神池という溜池だった。同じ上新入ながら亀甲の一人婆さんの家の裏は田んぼだった。』
松芳、亀甲という地名は現在でも直方〜JR遠賀川駅線の新正橋西側の西鉄バス停の名称として残されています。

○「勘六橋のお玉さん」について
西日本新聞の平成十四年(2002年)の文化欄の記事で勘六橋の下の河川敷の粗末な小屋に住んでいた女性で年配の直方市民にはなじみ深い有名人であった「勘六橋のお玉さん」について、母親が自分に語った言葉を思い出しつつ文学者らしい分析を次のように述べています。
『当時の庶民は世外者(せがいもの)、浮浪者、いまでいうホームレスの人々に対して、尊敬といわないまでも一種の尊重の気分を持っていたように思う。』

文 榊 正澄

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