- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県行橋市
- 広報紙名 : 広報ゆくはし 令和7年7月号
市制70周年を迎えた行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。
【ID】0020341
◆Vol.025 今井祇園祭
元永に鎮座する今井津須佐神社は、「今井の祇園さん」として行橋市民には大変馴染みのある神社です。鎌倉時代中期の建長6年(1254)、今井津に疫病が流行した時に京都の祇園社(現在の八坂神社)を勧請して祀ったのを創建とし、これにより疫病が収まったことから、翌年より疫病退散のお礼として始められたのが、現在まで受け継がれている豊前地方の夏の風物詩・今井祇園祭(県指定無形民俗文化財、指定名称「今井祇園行事」)です。
例年7月中旬から8月初旬頃まで行われる今井祇園祭は、「山車(やま)の巡行」、「連歌奉納」、「八ツ撥(やつばち)奉納」が祭りの3本柱。しかしながら、八王子にみたてた神童の稚児が若者の肩に乗って神幣(しんぺい)を奉納する「八ツ撥奉納」は平成16年(2004)を最後に奉納されておらず、現在は「山車の巡行」と「連歌奉納」が祭りの中心となっています。
◇1961年/昭和36年 山車を引く今井西の人たち
かつては、今井東、今井西、今井中須、金屋の4基の曳山(ひきやま)と元永、真まこも菰の2基の舁かきやま山、合計6基の山車が各区を巡行していました。しかしながら、時代の流れとともに山車の巡行は行われなくなり、昭和43年(1968)には、今井西の曳山1基だけになりました。
右の写真は、大祭3日目に行うかつての「飾り山曳き」の様子。今井や元永など門前の道路が広いのは、いうまでもなく曳山や舁山が巡行していたことによります。
本紙写真:大祭3日目の祭り最終日に、色鮮やかな幟と胴幕で飾られた曳山を引く今井西の住民たち。山車を引く時に支障になる電線も現在に比べ少ないことがよく分かる。
◇2018年/平成30年 復興した元永山笠
現在、今井西の人々による「今井西祇園会」を中心に「今井祇園行事」が執り行われていますが、平成19年(2007)、昭和16年(1941)を最後に途絶えていた「元永山笠」を復興しようとする動きが若手有志から起こり、「元永山笠復興会」が発足します。
残されていた部材を基に古写真などを参考にして欠けていた部材を新調。そして、会発足10年後の平成30年(2018)の今井祇園祭。70余年の歳月を経て、復興した元永山笠が披露されました。
本紙写真:高さ約17メートル、全長は13メートル。重量は5.5トンもある国内最大級の舁山。舁き手は地元だけでなく、犀川や田川からも集まり、総勢100人に及ぶ(2018年は幟旗(のぼりばた)がありませんでした。)
もう1つの神事である「連歌奉納」は、室町時代後期の享禄3年(1530)から現在にいたるまで続けられており、5年後の2030年には連歌奉納500周年を迎えます。
しかしながら、現在さまざまな祭り、伝統芸能が岐路に立たされているといえるでしょう。少子高齢化社会を迎えたことに加えて、特に地方では過疎化が顕著であることに拠るものです。今井祇園祭も決して例外ではありません。神事の形式を維持するだけでなく、そこに込められた意味や感謝の心を忘れずに、次世代へと継承されることを切に願ってやみません。