文化 ゆくはし今昔物語

市制70周年を迎えた行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。
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◆~Vol.026 行橋の幼児教育
世界における幼児教育のはじまりは、古代エジプトやギリシャの古代文明時代までさかのぼりますが、現代のような体系化された教育機関やカリキュラムが設けられたのは、1840年にドイツの教育家であったフレーベルが、遊びを通じて子どもの自然な発達を促す「幼稚園(Kindergarten)」を創設し、その基礎を築いたことが嚆矢(こうし)とされます。
日本では、明治9年(1876)官立の東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)が創設され、本格的な幼児教育がスタートします。都市部では共働き家庭が増加し、貧困層や労働者の子どもを預かる「託児所」が民間篤志家によって設立され始め、慈善的な事業として発展しました。この「幼稚園」と「託児所」の機能分化が、その後の幼保(幼稚園と保育所)二元体制の源流となります。

◇1933年/昭和8年 行橋幼稚園の第1回卒園生
行橋では大正10年(1921)に、京都郡仏教連合会の有志が行事本町の真宗説教所(現在の県道28号「裁判所入口」付近)に「京都幼稚園」を開いたのが始まりとされます。その後、昭和7年(1932)に大橋581番地に移転、「行橋幼稚園」と改称しました。この幼稚園舎は昭和18年(1943)の火災で類焼したため、一時分散保育となりましたが、昭和25年(1950)に「行橋保育園」として再出発しました。

・かつての行橋幼稚園(現在の行橋保育園)は、大橋を南北に流れる舟路川とえびす通り商店街の間にあったが、平成27年(2015)、行橋小学校の東側に移転した。

◇2025年/令和7年 現在の行橋保育園
戦後、昭和22年(1947)に「児童福祉法」が成立。それに基づく児童福祉施設である保育所が、行橋地域にも次々と開設します。昭和50年(1975)には「市立大橋保育所」が開設。生後6ヵ月からの0歳児保育が始まります。この頃、市内には11ヵ所の保育所(うち私立が6ヵ所)がありました。
一方、満3歳から小学校入学前までの幼児を対象とする、教育基本法に基づく学校である幼稚園は、昭和37年(1962)の「行橋カトリック幼稚園」の開園が、市内では初めてとなりました。

・市内には現在、主に教育を目的とする「幼稚園」が6ヵ園、保育を目的とする「保育所(園)」が7ヵ所、教育と保育の両方を行う「認定こども園」が5ヵ園ある。※今は市立の施設はありません。

現在社会における幼児教育が抱える問題は、幼児の多様な発達への対応が追いつかない、家庭・施設・地域間の連携不足、保育士の処遇改善や専門性の向上など、多岐にわたります。
遊びを通じた総合的な教育を推進し、知識に偏らず好奇心、探求心などを育む環境づくり、子育ての不安を解消するため家庭と施設、地域が一体となって社会で支え合う体制づくりなどが求められているといえるでしょう。

(お詫び)広報ゆくはし7月号の「ゆくはし今昔物語Vol.025今井祇園祭」の記事にある、「八ツ撥奉納」は平成18年(2006)が最後でした。
お詫びして訂正いたします。