文化 あけてみよう! 歴史のとびら 191

■大野城心のふるさと館のおすすめ(20)
◇旧石器・縄文時代の大野城市
大野城市内の人の生活・活動の痕跡は旧石器時代の中でも最も新しい約3万年前から1万2千年前までの後期旧石器時代にさかのぼります。市内の後期旧石器時代の遺物は、善一田遺跡など乙金、四王寺山麓域と横峰遺跡など市南部・牛頸山からのびる丘陵上で確認されています。市内最古の遺物は約2万年前に遡る剥片尖頭器(はくへんせんとうき)で、出口遺跡や横峰遺跡で出土しています。その他にも小形のナイフ形石器や細石刃(さいせきじん)などが市内の遺跡で確認できます。
このような後期旧石器時代の遺跡の場所や石器の種類などから、丘陵部を中心とした狩猟活動を主に行っていたことが分かります。
続く縄文時代は、縄文土器の出現以降1万年以上の間、狩猟・採集、漁労活動を中心に食料を確保していました。市域では最も古い草創期の遺跡はみられず、続く早期の押型文土器や石鏃などの石器が、四王寺山麓の善一田遺跡や牛頸山からのびる丘陵上の本堂遺跡などで出土しているほか、市中央部の石勺遺跡でも早期の土器が出土しています。その後、前期と中期の遺跡は確認されていませんが、前期に流行する玦状耳飾(けつじょうみみかざり)が牛頸川河床で採集されています。後期以降は、四王寺山麓の金山遺跡、牛頸塚原遺跡など牛頸山からのびる丘陵上の遺跡で竪穴住居跡や土坑が確認されています。
市内の縄文時代の遺跡の時期や広がりをみると、縄文時代早期頃までは、市域北東部や南部の山麓丘陵上など後期旧石器時代と同じような場所に遺跡が形成されています。その一方で、石勺遺跡にみるように、後期旧石器時代には人の活動の痕跡が確認されていない平野部にも活動域が広がっています。縄文時代後期以降は土坑や竪穴住居跡などが市内南北の丘陵上で確認されており、定住的な生活の一端を考古学的に伺うことができます。

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